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「ちょっと 手 出してごらん」

おばーこちゃんが言う

( 以前書いた 人は なんで生きるのか の記事では 祖母のことを ばばこと呼んでいたが
そのうち おばーこちゃんに変わった)

「なあに?」

あたしが 手のひらを ひらくと
おばーこちゃんは ケラケラ笑いながら 手のひらに死んだ虫をのっける


お茶目で いたずら好きな祖母だった

もしかしたら、おばーこちゃんの そんな面を
あたしも受け継いでいるのかも知れない


ある日、おばーこちゃんが 箪笥の引き出しを ごそごそと
探りながら

「これが お前のいちばん欲しいものだと思うよ」

と、言って 
小さな木箱を差し出した

中身を開けてみると なにやら 干からびたモノが入っている

「おまえのへその緒だよ」

それは、幼い頃に離婚した実の母親が残していったモノだった

正直言って、それを見ても何にも感じなかった

別に欲しくない

それより、そのあとに出てきた
もう一つの木箱の中身に惹きつけられた


そこには タツノオトシゴが入っていたのだ

「わあ 可愛い これちょうだい」

高校生のあたしにとっては
干からびたへその緒なんかより、タツノオトシゴの方がずっと可愛くて
ドキドキした


実の母親を憎んでいた訳でも 疎ましく思っていた訳でもない

あまりにも 存在が薄く
日頃、考える事も思い出す事も無かった

単純にそれだけの話である


最後に その母と会った日の事は
薄ぼんやりとだが 覚えている


7歳くらいだった

その日、あたしは誘拐された
自分を産んでくれた その人に


いつものように、庭で花を見ていた
赤い一重のつるバラが満開だった

触ると、棘があって指先に赤い血が滲む
それでも 触れてみたくなる
赤い 赤い 薔薇の花びら その真ん中には黄色い花弁が
剥き出しになっている

花びらは西陽をうけて
無防備にその花弁を曝け出す

濃密な匂いが あたしの好奇心を捉えて
離さない

飽きることなく、薔薇の香りを嗅ごうと背伸びをしていた
夕刻の陽射しが 辺りを柔らかく染め
やがて訪れる藍闇の世界を遮っていた

その時、母があらわれ
あたしを連れて どこかへ行った



覚えているのは
駅のベンチに あたしを座らせて
髪の毛に指を入れて 三つ編みを編んでくれた事

そんなに髪は長くなかったから
三つ編みにするのは 難しかったと思われる

あたしは いつもおかっぱ頭だったから


それから 祖母のいる家にあたしを連れて帰り
祖母が激怒していた事


「黙って連れていくなんて 何を考えているのか
ひとこと、会いにきたと言えばいいものを」




あたしの人差し指には疵がある

皺が多くて よく見ないと どこにあるのか 分からなくなってきた

あの日は まだ4歳くらいだった
西陽の差し込む長屋のアパートの部屋で、包丁で遊んでいて
誤って自分の指に刃先を刺し入れてしまった

真っ赤な血がどくどくと流れて
びゃあびゃあ 泣いた


慌てて 母が駆け寄ってきて
応急手当てをしてくれたのだと思う


覚えているのは
部屋が あかるいオレンジいろに包まれていて
ただただ あかるく 眩しかった

痛くて びゃあびゃあ泣いたのか
無償の愛に泣いていたのか



無償の愛
そんなのは 現在 思いついて書いている言葉に過ぎない

だが
たとえ 記憶の捏造であろうと
そう記す



そう感じていた、と思う 
幼いあたしが 書かせているから そう書いている


あたしは 時々 人差し指を撓ませる

そこに うっすらと
その疵は 浮かび上がる

第一関節の右寄り 斜めに薄白く
その疵は 静かに鎮座している



あたしは 時々
その時を 撫でてやる



まだ 消えてない


と、
小さく安堵する為に




***


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