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言葉の保険をかけすぎない

皆さんこんにちは、しまさです。

学生時代テスト前に、「全然勉強してない!やばい~!」などと自分から口に出すを人をほぼ毎回見かけました。目的としては、テストの結果が悪かった時に備えての保険なのでしょうが、自ら言い訳の準備をする必要はあるのかと疑問に思っていました。

言葉の保険というのは安心材料になりますから、自らにとっては必ずしも悪いことではありません。しかし、言葉の受け手にとっては不要に感じる場面も多いように感じます。

そこで今回は、私が考える言葉の保険の良し悪しについてお話ししていきます。


良くないと感じる使い方

まずは、言葉の保険の良くない使い方についてお話しします。

セルフハンディキャッピング

セルフハンディキャッピングとは、失敗が予測されるときにその言い訳になるような外的条件を準備して、自尊心を保とうとすること。

セルフハンディキャッピング

冒頭に示したテストの例が、このセルフハンディキャッピングに相当します。あえて自らに不利な条件を口外することで、失敗したときの保険として活用します。

目的としては自尊心を保つためのようですが、偽りの事実で条件を作り出し自尊心を保てたとしても、それは本来の在り方ではありません。厳しい言い方かもしれませんが、ただの対症療法ですし、現実逃避しているようにも見えます。

仮に、自らに課する条件が真実であったとしても、それを本番の前にわざわざ口外する必要はありません。なぜなら、成功した場合は問題なかったということですし、反対に失敗した場合でも反省すればよいだけだからです。

また、セルフハンディキャッピングをしたうえで成功し続けていると、不信感にもつながります。勉強していないはずなのに、テストで良い点数ばかり取っている人は信用なりませんよね。学生にはあるあるかもしれませんが。

そのため、自らに課する条件が真実かどうかは関係なしに、セルフハンディキャッピングはしなくてもよい言葉の保険だと考えます。

不要な前置き

私は「〇〇するつもりはないけれど、」という前置きが苦手です。なぜなら、そのあとに続く内容は必ずと言っていいほど、○○になるからです。以下の例はどうでしょうか。

  • あなたの意見を否定するつもりはないけれど、私はこうするべきだと思う

  • 言い訳するつもりはないけれど、目覚ましが鳴らなかったのです

  • 自慢するつもりはないけれど、芸能人と友達です

どの例も全て、するつもりはないことをしているように感じませんか? 私は「いやいや、否定していますやん」となってしまい、とても違和感があります。知らないうちに自分も使ってるかもしれないのが怖いところですが…。

どうせするつもりがあるのなら、このような前置きは不要です。自分にとっては保険をかけているつもりでも、相手にとってはツッコミポイントになってしまいます。使うにしても、笑いのネタにとどめておきましょう。

相手の気持ちも考えているか

言い訳や自己主張が目的となっている言葉の保険は、相手のことを全く考えられていません。言葉というのは聞き手が存在しますから、そのような保険のかけ方はあまり好ましくないです。

反対に、良い保険の言葉は自分にとっては保険でありながら、相手にとっても嬉しかったり、救いであったりします。

例えば、メッセージで使う「笑」という言葉は、少しきつめのことを冗談めかして言うことに使えます。「なんでやねん」よりも「なんでやねん笑」の方が、柔らかい印象があります。たった一文字ですが、自分はキツイ印象を与えるのを回避でき、相手はツッコまれたこと素直に笑えるかもしれません。

他には、プレゼン終了後の「分からないことがあったら、この場でなくてもいつでも質問してください」というのはどうでしょう。自分はプレゼンでの説明不足を補えますし、相手も分からないことを自分のタイミングで質問できます。つまり、お互いにとって保険になる言葉になっています。

このように、言葉の保険は自分だけでなく、相手にとってもメリットがある使い方もできます。

保険をかけることは自身の安心材料になります。しかし、保険を言葉にする限りは必ず相手が存在します。そのため、自分だけでなく相手のことも考えているのが良い言葉の保険になると思います。

まとめ

言葉の保険というのは安心材料にはなりますが、自分にかけすぎると相手にとっては良い印象を与えません。言葉にして相手に受け取ってもらうのであれば、自分だけでなく相手にとっても嬉しい保険でありたいですね。

以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。

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