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子どもを取り巻く世界。学校ってそんな窮屈な場所だったんだっけ?

息子が小学校に入ってから、ヤキモキすることが多い。

保育園時代は、もっと、こう、晴れやかに朝送り出してにこやかに迎えに行けたのに。

今は担任の先生と話すのも憂鬱だし、本人の口から心穏やかでない発言も聞く。

悩みが思ったより深刻に

授業中で歩いたり声を出す他、友達に襲いかかる?!とか乱暴な言葉を大きな声で出すとか「あんなに優しくて年下の子に人気だった我が子が、どうして、そんなことに!?」といった未知の領域なのだ。

しかも、ストレスからかチックのような症状もある気がするし、カウンセラーの先生にもお世話になり、発達検査を受けて支援学級の通級の申請をしたらどうだろうと言うところまで来た。発達検査の予約は取ってその日が近づいている。

友達と喧嘩する、とか、忘れ物をする、とか、勉強しない、とか小学校時代の悩みってそんな感じかと思っていたけどまるで違った。

性格の印象をそれほど変えてしまうまでに、学校とはストレスがあるものなのか。

学校は行かせるべき場所?

息子は学校にはまあまあ普通に行く。
時間になれば着替え身支度をし家を出る。
宿題もするし、門まで一緒に行くと1人で入っていく。

しかし今後、どうなるかは分からない。
いつか、行かないと言うかもしれない。
もしや、ストレスによる変容を懸念して親として登校をやめさせるべきなのだろうか。

本人の健康を阻害するほどなら小学校に行かなくてもいい気がする。

どうして、進学してから人が変わってしまったようになるのか。それとも、多少扱いづらくなるのは成長上あることなのか?

保育園と異なり、学校の中の様子も分かりづらいが保育園より先生の指示の難易度が上がっているのは間違いない。子ども自身の内面でも複雑な考えができるなど変化があるのだと思う。

悩みを分解する1

学校で「やりたくない(苦手)」と思う授業や、「つまらない(簡単すぎる)」と思う授業で、立ち上がってで歩いたり友達にちょっかいを出すのがまず最初の悩みだ。

一度それで先生に叱られて、ひどく拗らせ、支援員の先生とクールダウンスペースで授業とは関係ない知育プリントをしていた。

その時はあまりに驚き(しかも、一連の出来事について先生からは連絡もなく、後でさまざまな情報から突き止めた)なんとかせねばと思ったが、逆に、授業がいやになったら、自由帳に好きなこと書いたり持参した本を読む様勧めたところ、授業中の出歩きは軽減できた。

本来、授業中に授業以外のことをやるのは、いけないはずだ。だけども、出歩いたり友達にちょっかいを出すよりましだろう。

そう親子で割り切ってから、息子は授業を自信を持って脱落している。体育は一応参加するし、音楽は好きだし、図工はやったりやらなかったりする、国語がどうやら最も脱落しやすく、算数は簡単すぎて暇な様。支援員の先生には心を開き、いつもの先生がいない日はつまらないと言う。支援員の先生の手を借りることの是非は私はまだ無知なのだけど、授業の進行を妨げて迷惑をかけるよりはマシな気がしている。

悩みを分解する2

次に悩ましいのは、友達関係だ。
おそらく、息子はかまってほしくて余計な一言で注意を引いたり、ちょっかいを出している。また、謎の独り言を発して突っ込まれたら言い合いになるようだ。

保育園時代は、似た様な独り言を発する友達と馬が合い2人盛り上がっていたがその子は別の小学校へ。息子はマイペース過ぎるし、集団に合わせるのが苦手だからいっそ、「1人で静かにしていたら?」とも思うが人が好きだからそれもできない。

まあ、友達関係の悩みはどの小学校でもあるし、誰でも少なからずあるから痛い目を見て学ぶか、支援学級で改善を、というところ。

学校ってそんな窮屈だっただろうか

分かるよ、息子。
私も学校の授業なんてつまらなかったし、友達付き合いは苦手だった。
授業のペースは鬼の様に遅く、放課後も果てしなく長く暇だった。

先生に怒られない様に、おとなしくして、地味な私は友達もそんなにいなかったんじゃないかな、少なくとも小学校から今も友達の子はゼロ。

しかし、学校とは窮屈な場所になったようだ。

休み時間に体育館を使える日は全員体育館にいないといけない、とか。
図書館に行けるのは図書の時間だけとか。
私の子どもの頃、そんなだったっけ?

授業がつまらなければ宿題をやっていたし。
でも、息子の友達は、ドリルを授業中に進めたら怒られて消しゴムで消させられたと。
なぜ??!!
ちなみに息子はドリルは最初に最後のページをやすやす解いて正解し、そこから勝手な進め方してるけど、もちろん消させてない。何回でもやりゃあいいじゃないか。

そこまで、みんなと一緒、じゃないとだめ?

あと、たまたまかもしれないけど担任の先生が話が通じない。息子は全く意思疎通出来ていないし、長い付き合いになる息子の友達の女の子は私の友達くらいに会話ができるのに先生と話が通じないと言う。保護者からも「あの先生の話は分からない」と複数の声を聞く。予定もコロコロ変わりお便りの情報も矛盾だらけ。

これって、子どもたちから見てどうなのか?
大人はたまに我慢すればいいけど、子どもは毎日のこと。友達とのいざこざも、誤解されたまま通り過ぎているだろう。

頼れる大人、他の先生にアクセスできるのが、養護の先生に自分で助けを求められる子、もともと何かやらかして支援員の先生と繋がってる子、自力でカウンセラーを予約できる子だけ!そして、親に困ってると言える子だけなのだ。親に迷惑をかけまいとする子は、耐えているのだろう。

訳がわからない授業が苦痛で「帰りたい」と泣いていた子までいたと聞く。

うちはたまたま息子の問題があって専門家と繋がれていたし、転入しているので校長先生とも話せる仲ではあったが、そうでないご家庭は、ありとあらゆる手法で校長先生や教育委員会に相談するしかない。

昔は、というか、私の小学校時代は、学校の先生と言えば子どもにもっと近くなかっただろうか?

先生のまわりに子どもたちが集まってワイワイがやがや話して。家でのいやなことを聞いてもらったり。

今の先生はそんな余裕がないのかな?

頼れる大人、と言ったら先生だったのに、と思う。

息子の友達のお母さんたちと話しても、学校で子どもたちが頼りにするのはサポーターの先生、という話を聞く。もちろん、息子もお世話になっている。

先生にとっても、出来ることが限られてやるべきことで溢れている学校は窮屈な場所なのかもしれない。

仕方のないことかもしれないけど…

SDGsの世界を広げるなら学校から、いかがでしょうか

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