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子どもに教えられたこと。自分で解決法を見つけていくこと、それが知恵をつけるってことなのか!

だいぶ昔に、人生の途中で失明した人がテレビに出ていた。

歯磨き粉は歯ブラシにつけないといけない、と思い込んでいたけどそんなことはなかった。口に入ればよい。

そんなことを言っていた。

また、パスタソースを複数買ってストックしてあると、その日何を食べるかはくじ引きだ、という話もあった。

いつかも忘れたけど、「そうか、なるほど」と思った。目が見えていた時は、その人は歯ブラシに歯磨き粉を乗せるのが当たり前だったし、パスタを食べる時何の味かわかって食べ始めるものだったのである。

目が見えなくなり、「そうじゃない」世界を自分で作りなおしてやって来たのだろうと思う。

そういうことは、ちっぽけな規模だけどよくある。

子どもの世話に忙しくてキッチンで立ったままご飯を食べるとか、取り込んだ洗濯物の山から着替えを取るとか。

小学生の息子はどうやら決めるのが苦手。
何がどうしてそうなるのかわからないけど、何かを選ばせるとなかなか選べない。

集中力がないとか、興味がないことを考えるのが難しいとか、発達上の特性もその背景にあるのかもしれない。

保育園くらいまでは「そんなもんかな、小さい子なんて」で済んでいたり、親が代わりに促したりできたけど、小学生にもなると「どうして答えないの?」なんて指摘されることもあるのかもしれない。

社会的にも受け応えができないと困るから、家でも、答えてほしいときにあまり助け舟を出し過ぎぬように待ったり、目を逸らさず答えを聞くようにしたりいろいろしてみた。

本人としても、「なんとか答えよう」と思ったのか、最近、不思議な現象が起きるようになった。

なんとか答えが返ってくることが増えた。
ただし、変な枕詞がついてくるのである。

「ルーレット回したの」

自分で決められないことは、自分の中でルーレットを回して決めているらしい。

以前は、何かを選ぶ時一緒に理由を喋ってくれる子だなあ、と思っていた。慎重なのだ。あまり思いつきで行動しない。

でも生活してると、実際、「なんとなく」選ぶ方が適してるシーンはよくある。

何が食べたい?これはあとにする?

どっちでもいい、ママのいい方でいい、とかつて答えていた質問たちである。

ぶっちゃけ、聞いてるこっちもどっちでもいいっちゃいいけど、と思ってることもある。

そんなとき、息子は自分の中でルーレットを回すという術を得たようだ。

そういえば、学校でも「何を書いたらいいかわからない」と感想シートやまとめカードが真っ白のことが度々あった。

「書きたいことがない時は、誰かになったつもりで書けることを書けばいいんだよ、本当の心の中は誰からもわからないし、自分でさえ分からないのだから」と言っていたら、いつしか、何かしら埋めてくるようにもなっていた。

ナイス、と思った。

息子は息子なりに考えて対処法を身に付けたのだろう。

こうして知恵をつけていくんだなと思う。

何を答えていいかわからない、書いたらいいかわからない、そんなピュアな息子もたまらなく愛しい。

けど、生きてくためにオリジナリティのある知恵をつけて進んでいく息子もまた、この上なく愛しいと思う。

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