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「kohの世界」の終わり?

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」

平家物語の冒頭です。

kohです。

物事には「始まり」があれば「終わり」もあります。
それは、「kohの世界」にも例外ではありません。

「会うは別れの初めなり」ともいいます。

ずっと一緒ではいられないのが
人間世界の条理です。

と長々と書いていますが

別に「終わりたい」わけではなく

今回は、「kohの世界」の
「終わり」を想像してみたいと思います。

これは責任ある「毎日note」にしたいからです。
「noteのエンディングノート」のようなものと考えてください。

何故か?と思われそうですが
「別れ」は前に述べた通り人間世界の定法です。
いつまでも続けられると思うのは
「驕れるものも久しからず」だと
考えるからです…。

早速。
もし「kohの世界」が終えるとしたら
なるべく(絶対に)終了の告知はしたほうがいいですね。
義理人情は大切です。
私の好きな言葉に
「飛ぶ鳥あとを濁さず」があります。
できればなるべく後腐れなく終わりたい。
告知は必要です。

「kohの世界」を終えた私は
一時期は終わった安堵感でふーっとなるかもしれません。
でも、定年退職のようにじわじわと
「やめなきゃよかった!!!」と
後悔の念が湧いてくるでしょう。
(定年の経験はまだ先ですが…)

でも時すでに遅し。
アウトプットする場がなくなり
詰んだ状態になるのは必然でしょう。
(かわいそうだけど、自分で決めたのだから自業自得です)

noteには消去しない限り
私の記事が残りますね。
これは私が書いた証として残るでしょう。
著作権切れでもスキがつくかもしれません。
(そうしたらありがたい)

私がnote更新を終えて・・・・・
悲しくなる人はいるでしょうか?
でも「会うは別れの初めなり」です。
そういう優しい方にはまた素敵な仲間がきっと見つかります。保証します!!!
(本当か・・・?根拠はあるのか・・・?)。

ここまで読んだ方で
「ふざけているのか!!」と怒らないでください。
何かが終わるのは「定法(定まって決まっていること)」であり
私は少し真剣に考えたいと思います。
シェークスピアは「終わりよければ全てよし」という有名な言葉を残しました。

終わりを意識することは、本人にとっても限りある時間に責任を持つ大切なことなのです。

というわけで今回
「kohの世界」の終わりということを
自分なりに考察してみました。

人間にとって「今」の健康や
この文章が理解できること
また明日がやってくることは「当たり前」かもしれませんが
同時に「生きている奇跡」でもあります。

「ありがたいこと」なのです。

だからこそ
朝になったら「また新しい一日」をいただいたと感謝して臨みたいものですね。

そうすれば、夜になったら良い一日だったと
感謝して終えられるはずです。

リアルに「kohの世界」の終わりを考えたら
なんだか責任感を感じるのは自意識過剰でしょうか・・・?(きっとそう…)

人生は限られた時間しかありません。
健康な人はぜひ「kohの世界」でもいいので
終わったらどうしよう?と
自問自答して有意義な毎日を共に過ごしましょう。

読んでくださるあなたがいるから
私は嬉しいです。

今日一日を一緒に素敵に過ごしてほしいです!

それが、私の小さな祈りです。

良い一日を・・・。
また次のnoteでお会いしましょう。

おわり

comakotoeさん素敵なPhotoありがとう
ございます。


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