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岩盤浴で寝転びながらうかんできた「人生とは」

昨日初めて岩盤浴を体験した。

暑いのが苦手な私は温泉にいっても長く浸かっていることができないので、岩盤浴なんて今まで興味が無かった。

しかし最近、サウナで”整う”ことが思考をスッキリさせてくれるとのことを聞き、でもサウナ暑いし…と思っていたところに、「サウナほど熱くないのが岩盤浴」というのを聞いて体験してみることした。

結論
岩盤浴、すごくイイ!

温められた岩盤の上にうつぶせと仰向けで寝転ぶのだが、岩盤の接している身体の部分は熱くなるのであるが、空気はほどほどに循環されており、また湿気もないので息苦しくない。
そのせいかずっと寝転んでいても心地よい。
湿気がいかに暑さを助長させているのかを実感する。

岩盤浴の入り方としては15分ほどしたら一旦体をクールダウンさせるのだが、そこの施設には冷房がキンキンに効いた「クールルーム」があり、そこに入ると、なんというか心地よいぐったり感が押し寄せてきて、頭もぼーっとしてくる。いわゆる「無」になってくる。

この、岩盤浴⇒クールダウン を数回繰り返すのだが、繰り返していくうちになぜかだんだんと思考がスッキリしてくる。
頭の中のドロドロした嫌なものが排除されて、クリアな明るいものだけが残っていく気がした。

これが”整う”ってことか?ディープリラックス状態とはこういうことか?

そしてその”整った”思考で突然人生について頭に浮かんできた。

「今日は幸せなことがあった日だった」「今日は嫌なことがあった日だった」という日が継続していくことが人生
そういう”幸せなこと”や”嫌なこと”がある日を継続できない心や体になった時が人生が終わる、死ぬ時なのかもしれない

岩盤浴でディープリラックスして幸せな気分になっていたからか、こんなことが浮かんだ。

仕事で大きな成果を出す人生もある、夢を叶える人生もある、
家庭がうまくいかない人生もある、人に裏切られる人生もある、

でもそれらは「幸せだと思う」「嫌だと思う」ための手段であって、その手段が人によって違うけれど、結局それらは全部「幸せだった」「嫌だった」という自分の感情に最後は繋がる。

そういう風に考えると、人生において、
例え何か大きなことを成し遂げなくても
例え夢がなくても
例え毎日同じことを繰り返しているだけでも
その日何か「幸せだった」と思うことがあれば、それでいいんじゃないか。

仕事で大きなプロジェクトを成し遂げた人の「今日は幸せなことがあった」も
お風呂あがりに冷たい生ビールを一口飲んだ人の「今日は幸せなことがあった」も、
どちらもその人にとっては「幸せなこと」であることには変わりない。

第三者からの見え方やその後の未来への繋がりといった点ではこれらに違いがあるかもしれないけど、どんなことであれどんな大きさであれ「今日は幸せなことがあった日だった」が継続していく人生は良き人生だと思う。

人生の目的を「何を成し遂げるか」に置くと、それら手段の中で発生する喜怒哀楽は付随物になるが、
人生の目的を「どれだけ幸せを感じるか」に置くと、そのための手段となる「何をするか」が付随物になる。
大事なのは付随物ではなく目的。目的をどうするか、どっちを大切にしたいのか。

「人生で何を成し遂げるか」とか考えて、何にもできていない自分に落ち込んだり、イライラしたり、自分を追い詰めたりして生き辛くなった時には、こんな思考でいいんじゃなかろうか。

「人生はただ毎日が継続していくこと」
日本語にしたらちょっと変だけれども、こう思うとちょっと楽になる。

嫌なことがあったり気分がモヤモヤする時は「今日は嫌な日なんだ」と思う。そうやって引きずらないように、思いつめないようにする。
小さなことでも楽しいことや嬉しいことがあった時は「今日は幸せな日なんだ」と思う。そうやってひとつひとつの幸せをきちんと味わう。

こんな風に日々を過ごして「毎日を継続させていく」のもいいのではないか、という考えが、”整った”状態で浮かんだ結論である。

色んなことが上手くいかなくて、自分で自分を追い詰めて、自暴自棄にもなっていた中で、ここまで思えたなんて……

“整う”凄い!岩盤浴凄い!
また絶対行こう!


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