見出し画像

【最近の学び】自己否定感が招くもの

日本の美徳、「謙遜」。
空気を読むとかへりくだるとか、
上に立たず、「私なんて……」の表現。

奥ゆかしさや、謙虚さは確かに素敵な姿勢だけど、
行きすぎると「卑屈」になってしまう。

個人が自分をどう考えるかとか
自己肯定感が低いとか、
セルフイメージは正直自由だと思う。

ただ、低すぎる自己肯定感は
他人に迷惑をかけてしまうと、最近気がついた。

私の基本姿勢はたぶん、「自己否定」。

高校受験で天狗になって、
鼻っ柱叩き折られて、
大学受験で失敗して、
あーー、もう卑屈。笑
私に価値なんてないし、生きる意味もない。

自分が自分をどう思ってようと、
自分が生きづらいだけだからいいんだけど、
……と、思っていたんだけど
これがちょっと問題を招いた。


ケース1、誰かへ何かを教える時

わたし、をまず底辺に据えてしまうと、
それ以外は私より上になる。自動的に。

となると、何かを他者へ伝えるときに
「私程度の人ができること」を伝えることになる。
ごく自然に。

すると、万が一相手ができなかったとき、
とてもとても「なんでできないの???」となるわけだ。

私みたいなクズでさえできているのに、
貴女にできないわけがないでしょ?
なんで、できないの??と。

こりゃひどい。
とてもひどい。

謙虚さも奥ゆかしさもらかけらもない。
ただの傲慢である。

が、自分が人間の底辺である場合
高確率でそうなってしまう。

自分の能力、低く見積もりすぎる、
だめ、絶対。

貴女ができていることは、
皆にとっての「当たり前」ではない。けして。

ケース2、ご飯のお誘いの調整

私とご飯に行くのはたぶんそんなに楽しみじゃないだろうな。
という、
なんの根拠もない前提がまずある。
(どないやねん)

そうなると、勝手に組上がっていく
・店はどこでもいいだろう
・場所も相手が帰りやすければどこでもいいだろう
・和洋中候補あげりゃ決まるだろ
・多少高くても私が払えばいいだろ
というなんとも勝手な推測。

でよ。
困惑ですよ。

お互いの家の中間を探してくれようとする姿勢、
夜遅いなら送るよ、の言葉。

ビックリだよね!!!!?
……いや、本当にビックリだったんですよ。

会社の飲み会なんて大体どこでもいいじゃないですか。
おじさんたちが行きたければ、
たとえ女の子でも深夜のカラオケにつれてくじゃないですか。

私ごときにこんな気遣いをしてくれるなんて……

っていう。
もうショックですよ。
カルチャーショックなのかなんなのか
全然わかんないけどショックでした。

でもまぁ……
相手が私のことをちゃんと考えてくれてるのに
「君が帰りやすければどこでもいいでしょ?」
って、
すごく失礼だったかなあって。


ま、なんかこんなことを
身をもって体感したんです。

セルフイメージなんてどうでもいいと思ってました。

自分は生きづらいけど
誰にも迷惑かけないでしょって
思ってました。

全然そんなことなかった。

いやぁ、、色々考えさせられます。
ひとつずつ、学んでいきます。

いやぁ……すごいなあ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?