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果実が傷み腐る前に

深い深い悲しみの中に在るのです。
どうしようもないほど傷んだ心を持て余すとき、
私にはいつも日本語しかありません。
ひとつひとつが言葉になる度、昇華されたようなそんな気分になるのです。

なくしたのだから、なくなったのです。
自分で書いた文を眺めてはその意味について考えあぐねて
前に進めなくなるのです。

普段後ろを振り返るような人間でもないのに
次から次へと思い出が溢れては後悔の闇の海に弄ばれます。

なぜ過去は固定されてしまうのでしょう。
連綿と続くように思われた日常も
神の気まぐれがハンマーのように打ち下ろされると
粉々になりもう修復が出来ないのです。
何の学問が役に立つというのでしょうか。
日々、研鑽し進んでいる、学んでいると傲り高ぶる私への罰なのでしょう。
その実、何も出来ないのですから。

深い深い悲しみの中に在るのです。
もう戻らないのだ、会えないのだと知って
闇に沈んでは息が止まるのです。
そんなことがあるはずないと言いたくても
唇を動かせど声にはならぬのです。
わかっているのでしょう、私自身も。

凍った過去に囚われて未来もまた凍り付く。
生とは凄惨なものだと思われませんか。


ふと思い出して中原中也を引っ張り出して読み漁りました。
死ぬほどの悲しみならば心に合うだろうと思ったのです。

懐かしむは中学の時、父の書庫で見つけた詩集。
それがどの冊子かだったかなど憶えてはおりませんが
サーカスを読んだのは確かに父の書斎だったと記憶しております。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

月夜の浜辺・中原中也

中原中也の深さに比べれば私の人生の悲しみなど取るに足らないでしょう。
もしくは程度の差などを考えることが愚なのでしょうか。
人間はどうして悲しむのでしょう。
もし誰かが見かねて、脳を焼き切る手術をしてやろうと申し出たら
私は藁にも縋る想いで首を縦に振るのかもしれません。
思い出の品を手のひらで転がし遊びながら
私は今日も深い深い悲しみの中に在るのです。


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