キャンプに行かない vol.1(11月下旬)


模範的な秋晴れの日だった。

駅に着いて、道を思い出しながら目的地へと向かう。三軒茶屋にある株式会社Campの事務所を訪れるのはこれが二度目だ。


Campの事務所は大通りから外れた路地裏にある。小さな公園の隣に静かに建っている一軒家で、そんな外観のせいもあってか、人のオフィスを訪れる緊張感はほとんどない。

インターフォンを押して応答を待っていると、横にぬっと人影が現れた。

「来たね」

「新田さん」

大きなマウンテンハット、どこか虚ろな目、顔に馴染んだ不敵な笑み。紛れもなくCampの共同創業者の一人、新田さんであった。

新田さんはコーヒーを買いに外に出ており、ちょうど戻ってきたところだという。僕は新田さんについて、そのまま事務所へと上がっていった。


二階にある机の一角を借り、荷物を下ろす。Campの事務所は二階がダイニングスペースとキッチン、三階がメインの仕事場になっている。ダイニングはただ片付いているという以上に、明るくきれいな印象があった。

前の事務所にも遊びに行ったことがあるけど、引っ越してきたばかりのはずの今の事務所のほうが落ち着いて見える。僕にしてみても、なんだか不思議な居心地の良さを感じていた。


そのまま自分の仕事をさせてもらいしばらく過ごしていると、三階から大さんが降りてきた。

「お邪魔してます」

「ああ、いっしー。いらっしゃい」

柔らかい口調でそう言って迎えてくれる。大さんは半纏を着ていて、まさに家の主のようであった。新田さん、そして大さんと、これでCampの経営者が二人揃ったことになる。

「…じゃあ、なんの話をしようかね」

大さんはテーブルに着いて少々準備したのち、少し照れ臭そうな感じで僕にそう言った。



株式会社Campは横田 大(よこた まさる)さんと新田 晋也(にった しんや)さんが立ち上げた会社である。

二人のほかに澤木ちゃんという一号社員と、服部さんという二号社員がいて、澤木ちゃんとは何度となく、服部さんとは前回紹介されて一度会っている。


Campの事業を僕の認識ですごく簡単に説明すると、物や場所の編集を通し、世の中にまだ知られていない作り手・作品・カルチャーを、「作り手の側に立って」社会に紹介ないし浸透させていくというもので、具体的にはWebや紙の編集をしたり、イベントのプロデュースをしたりしている。

大さんの前職が編集者/ディレクター、新田さんの前職がクラフトの作家さんと関わる仕事だったので、それぞれの得意な分野をそのまま融合して展開したような印象だ。


この二人とのつながりは、五年前ほど前に僕が新田さんに出会ったところから始まる。

当時、新田さんは博報堂から生まれた「iichi」というプロジェクトに参画しており、iichiが浅草にギャラリーショップをオープンさせてすぐに、僕がそこを訪れたのだ。

その後、近所だったこともあり、新田さんはよく僕たちの運営するゲストハウスにビールを飲みにやってきて、いろんな話をしているうちに一緒に外に飲みに行くようになった。僕たちの店でもお酒を提供しているので、うちによく来る人とわざわざ外に飲みに出掛けるというのはちょっとだけ珍しい。

新田さんは僕より二つ年上で、漫画や音楽に関する話とビールを飲むペースが異様に合った。


一緒に飲むようになってしばらくしてから、新田さんに「昔からの友達で、いっしーに似てる人がいるから一緒に会いに行こう。ぜひ話してほしい」と誘われた。

指定された先はその人がオーナーを務めるWANDERUNG(ワンデルング)というお店。夜だけオープンしている西荻窪の喫茶店だった。どんな意図があっての誘いなのかはわからなかったが「ぜひ行きましょう」と返事をした。


新田さんから伝えられていたワンデルングの集合時間が23時だったので、軽く話をして帰るのだろうと思っていたのだが、度重なる遅刻の連絡を経て、新田さんはなんと終電で西荻窪にやってきた。

「いや〜ごめんごめん」といちおう軽くだけ悪びれる風の新田さんを見て、「これは今夜はここから仕切り直すってことだな」と直感した。

新田さんの家は御茶ノ水、僕の当時の家は三ノ輪。西荻窪から帰ったらタクシーでもかなりかかるだろう。次の日に予定が入っていないことを僕は幸運に思った。


そこで改めて新田さんが大さんに僕を紹介してくれた。

「いっしーは、このままだと大くんみたいになっちゃうなと俺は思ってて」

「似ている人がいる」とは微妙に違った表現である。先に着いていたので大さんとは店内ですでに二、三言会話をしていたが、ここで初めて「新田さんから『似てる人がいるからぜひ会って』という話をされて、今日はやってきたんです」ということを僕は明かした。

大さんは「えっ、こんなしっかりしてそうな石崎くんに。失礼だよ」と新田さんに向かって答えていた。僕はどう反応していいかわからずにひとまずニコニコしていただけだったけれど、そのやりとりからは二人の仲の良さが感じ取れた。


その後、お店を閉めた後のワンデルングで2時まで飲んで、ワインを一本買ってカラオケに流れた。新田さんと僕は結局始発で帰った。

途中、みんなで好きな音楽を掛けたりそれぞれのカラオケの選曲に唸ったりした。僕と大さんが似ているかどうかはわからなかったが、打ち解けたムードになった。初対面の人と少人数で朝まで飲むというのは、もしかすると初めてだったかもしれない。

帰りながら、新田さんが「会ってほしい」と言ったのは、本当にただ仲の良い友達を紹介したいだけだったんだろうなあ、と僕は思った。



それからというもの、新田さんとは別で、大さんともたまに飲みに行ったり遊びに誘われたりするようになった。

「実はいっしーに頼みたいことがあるんだよね。ニッシンとも話してたんだけれど、僕らのことを書いてもらえないかと思って」

今年の夏、一緒に飲んでいるときに大さんがそんなふうに切り出した(ニッシンというのは大さんの新田さんに対する呼び名である)。詳しく聞いてみると、例えば大さんと新田さんでラジオを録るつもりで話をして、それに僕が感想を加えて書き起こしてみたりだとか、そういうインタビューではないかたちでCampのことを書いて欲しいということだった。


大さんが説明するのを聞きながら、僕は前にも友人から同じような依頼をされたことがあるのを思い出した。

そのときはパーティーのレポートというかたちで、結局その案は主催者に通らずになしになってしまったんだけれど、依頼をしようとした友人は「文章を書くのに必要なのは半分かそれ以上、ものの見方だと思ってる。もちろん技術も大事だけど、それよりも私はこの会に対する石崎君の見方に興味があるんだよね」とそんなふうに話してくれた。

僕はライターでもなんでもないわけだけれど、このときのセリフを大事に覚えていて、もし今度同じような依頼をされることがあったら進んで受けようと思っていたのだ。


人が生まれ持った個性や感性の先、または関係性の中にまだ名前のついていない仕事はたくさんあると僕は思う。

具体的にどんなことをしたらいいかはわからなかったが、大さんと新田さんとの間でなら、インタビュアーの人が触れないあたりの領域にも、なんとなく踏み入っていられるような気がしていた。

それからいろいろ話をして、とにかくCampの事務所に遊びに行きますよ、という話になった。大さんや新田さんが実際に仕事をしている姿はほとんど見たことがなかったし、「Campの大さんと新田さん」のことを書くなら、仕事場の二人を見て書きたいと思ったのだ。



そんな経緯があって、三軒茶屋の事務所へとやって来たのだった。

とはいえ「こんなふうに書こう」と明確なかたちを決めて来たわけではない。大さんからも「いっしーが書きたいことがもしあったら書いてよ」と言われていたし、僕が決めていたのは「録音をしないこと」と「書こうと思って話をしないこと」の二つだけだった。僕自身、二人との会話を楽しみたかったからだ。


「なんの話をしようね」と言って始まったわりに、話題は尽きなかった。自然と、会社のあり方や組織の中での立ち回りの話が多くなる。僕も自分の会社のことを二人に聞いてもらった。


「いっしー、ありがとね」

大さんが電話で席を外したときに新田さんがそう言った。

「あ、いやぜんぜん。僕も二人と話したいなと思って来てますし。文章に書くかどうかはオマケみたいなもんで、遊びに来れる口実ができてラッキーだなって思ってます。新田さんや大さんと仕事の話をするのも、新鮮で楽しいし」

「俺も大くんとは、実務的な話をすることはあっても、働き方とか会社そのものの話をすることってそんなに多くないからね」

思い返してみると、確かに僕を介して二人で会話をしているような場面もけっこうあったような気がする。

大さんと新田さんは学生時代からの付き合いらしいから、もう15年以上も気の合う友人関係を続けてきたことになる。お互いのことをわかっている分、今更あえて言葉にして踏み込んで話す機会は意外と少ないのかもしれない。


「新田さんは、大さんに誘われて一緒にやることになったんですよね」

「そうだね、もともと自分でも独立しようと思ってたときだったから、大くんの話を聞いて『なんだ、これは自分のやりたいことと一緒だな』って思ったって感じかな」

「ちょうど合致してたんですね」

「うん。だから話聞いて15秒ぐらいで決めた。次の日には会社に辞めますって連絡したし」


決断があまりに早すぎるので思わず笑ってしまった。むしろその15秒間で何を考えたんだろう。

そんな新田さんの話を聞いて、Campというチームは、大さんの思いから生まれたんだなと改めて感じた。新田さんはその思いに共感しているし、それを具体化するための自分の得意分野もわかっているけど、同時に大さんをとても尊重しているように見えた。


大さんが電話から帰ってきて、また少し三人で話をした。

「僕は大さんが前に言っていた台詞が好きで」

「いっしーは気に入ってくれてるよね」

「『偏愛で世の中に寛容をつくりたい』。Campの名前にも事業にも通じてるなって思います」


僕は本当に、この台詞が大さんの姿勢の真髄なんじゃないかと思っている。偏愛っていうのは皮肉めいた表現だが、この格好の付けなさというか、正直さが大さんらしい。横で新田さんも頷いていた。

世の中が均一化すればするほど、その偏愛は博愛では成し遂げられないスピードとパワーで人を動かし得るのだろう。

そうやって呼び起こされた価値や、もしくは「偏愛すること自体」が一般化していった先に、今よりおおらかで少しだけ刺激的な世の中があったら完璧だ。


会合の最後に、二人から名刺を貰った。Campが創業して一年。名刺を貰うのはこれが初めてだ。上下二つ折りのカードになっているその名刺を開くと、こんな言葉が書かれている。


Notes on "Camp"
「この世には名付けられていないものがたくさんある。そしてまた、名付けられてはいても説明されたことのないものがたくさんある」


この文章は米作家のスーザン・ソンタグが発表した「"キャンプ"についてのノート」からの一節で、株式会社Campの「Camp」は野営の意味ではなく、スーザン・ソンタグが提唱した大衆文化に対する反アカデミックな思想から来ているとのことだった。

こうやって、二人が作った会社の思想や事業の大元の部分を知れることをとても嬉しく思う。こんな機会でもなければ、きっと名刺をもらうことも、そこに書かれた意味をちゃんと考えることもなかっただろうから。


ずっと、友人とは、なかでも気の合う人たちとは、仕事の話をしない方が良いと思っていた。相手に訊くようなこともしなかった。

これは肩書きや「どんなことをしているか」を抜きにしてその人自身と知り合いたいという僕の思いから来るものだったのだけれど、それはそれで、すごくもったいないことをしていたのかもしれない。Campのことを知ることは、そのまま大さんと新田さんを知ることだった。


Campがこれからどんな会社になっていくのか。僕はそれを一緒に考える人でも、咀嚼してついていく人でもない。

けれどもCampの外側から、いちばんよく訪れる客人として、今のこの人たちのことを中庸に、穏当に見届けていけると良い。そんなふうに思う。


文・石崎嵩人

石崎嵩人(いしざき・たかひと)
株式会社Backpackers' Japan取締役。1985年栃木県生まれ。大学卒業後は出版取次会社に就職。その後、大学の同級生ら友人三人に誘われ、2010年にBackpackers' Japanを創業。Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE(蔵前)、CITAN(東日本橋)など、現在東京と京都で4軒のゲストハウスを運営している。 twitter: @takahito1101

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