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魂がふるえる:目には見えないけど確実にあるもの

若い頃の塩田千春は、自分の生命とひたすら対峙するかのように荒治療的なやり方で体当たりで作品づくりをしている。

・夢で自分自身が絵になることを見たことに着想を得て、頭から真っ赤なエナメルペンキを被り、絵と一体となる作品。
・数日の断食後に裸で洞穴の中に入り込みそこから転がり落ちる作品。
・バスタブの中でひたすら泥水を頭から被り、泥で覆われた目元や口元が苦しげな映像作品。

どの作品からも自分の中にある魂を荒々しいやり方を通してでも感じ取ろうとするアーティストの若かりし頃のパワーの底力を感じる。「生きていることを感じたい」と言う、悲痛な叫びが聞こえてきそうな作品たちだ。それに対して最近の作品は、静寂さを通して、鬱蒼と漂ってくる魂の存在感が初期の作品と比べて際立って迫力を持って迫ってくる。

作者自身が生死を彷徨う病気になったことがきっかけなのかわからないが、今度は消しても決して消えることがない魂の気配を捉えることに力点がシフトしている。命が仮に尽きたしても、物に刻み込まれた記憶や思い出の気配が、その場には存在しないはずの人たちの存在を浮き出させてくれる。

人間の体を離れた魂は、今度はしたたかに、その存在を物を通じて静かに主張し続ける。死を自分のものとしてある程度覚悟したことがある作者だからこそ、より自分の中にあるけど、独立して存在しているかのように振るまう魂から目が離せないのかもしれない。

目に見えないものや科学的に立証できないことは無かったことにする現代において、「魂」の存在は厄介なもので、なかったものとして忘れ去られてしまう。だからこそ、この展示は、忘れられた私たちの「魂」と共鳴するのかもしれない。

同じタイミングで、国立新美術館では、同じ命をテーマにしつつも、「死」の側面がより強調されているクリスチャン・ボルテンスキー展が開催されている。併せて鑑賞すると、命のコインの表裏の両方を見ることができる。両方の作品を見ると、それぞれの作品の個性がより際立って見えるのでオススメです。


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