きゃんここ

現代アート好き。アートの楽しさの記憶を残していきたい。

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最近の記事

現代アートと宿泊したからこと見えてきたもの。

私が東京でやる遊びの1つに、現代アートのギャラリー巡りをすることがある。新しい展示がスタートしたら、事前の下調べはあまりせず、ギャラリーに立ち寄るのが好きだった。銀座は特にお気に入りの場所で、あの小さなエリアに、いくつも好きなギャラリーがあり、数ヶ月に一度、まとめて展示会によく行っていた。私はたくさんの作品に触れ、色々な刺激を一気に受けるのが大好きだったのだ。 ただし、そんな生活も2020年はコロナの影響で、突然難しくなってしまった。外出自粛が要請される中で、ギャラリー巡り

    • 宝さがしぐらいの気分で現代アートを楽しもう

      直島をはじめとする地域密着型のアートイベントもだいぶ定着してきたと思う。瀬戸内海の島々をめぐりながら楽しむアートは、美しい豊な自然と現代的なアートとと言う、自然と人工物の両極端の美しいものを一度に味わえる体験を提供してくれる。まるでチョコレートとポテトチップスのような関係だ。甘いものの後に塩辛いものを食べることで、それだけを味わうよりずっと味が引き立つあの感じに近い。美術館に訪れるだけでは味わえない楽しさがあるから、何度もリピーターを引きつける原動力になっているのではないだろ

      • 米粉パン作りと損切りとの間

        冷蔵庫の中に鎮座している米粉の袋。冷蔵庫の扉を開ける度に、何度も失敗したパン作りをするようにと、無言のメッセージを送ってくる。これまで3回も試したが、満足のいく結果が出ていないフライパンで作る米粉パンのことだ。 ネットで調べた限りでは、短いやつだと15分、長くても30分程度の簡単さだ。フワモチっとしているものから、外側はカリッとスコーンぽい仕上がりのものまである。期待に胸を膨らませて作った第1回目のものは、ナンにしか見えないしろものとなった。その次は、ピタパン。そして3回目

        • 記憶の珍味展:マインド・ワンダリングの部屋

          展示が開催されてから二度鑑賞しているにも関わらず、何度も訪れたい作品がある。資生堂ギャラリーで取り扱われている諏訪綾子さんの「記憶の珍味展」だ。 諏訪さんが調合した様々な香りを嗅ぎながら、そこから引き出される、個人の記憶の連鎖を味わうという体験型アートだ。個々の参加者によって香りから喚起される記憶が異なるため、その体験自体を通して、「わたし自身を味わう」ための演出が手掛けられている。 部屋の中央には円を描くように、神殿の屋根を支える支柱のようなものが等間隔で配置されている

        現代アートと宿泊したからこと見えてきたもの。

          アマチュアな料理人と多種多様な作ること

          日々自分で食事を料理をするアマチュア料理人にとって料理とは、愛情表現だったり、健康のためだったり、美味しいものを食べたいためだったり、はたまた単なるこなさなければならない家事の1つであったりする。ある人は、効率的に料理をするために、1週間のまとめ調理を推奨し、またある人はホットクック や家電調理の活用を力説する。また、ある人は、(それは、マクロビ愛好家なのだけど)ご飯は土鍋で炊くことが重要で、残ったお米の再加熱は、電子レンジではなく、蒸し器である必然性を健康面から説く。グルメ

          アマチュアな料理人と多種多様な作ること

          ジョーカー :私たちの正義が試される時

          映画鑑賞後に気持ちがぐっと下がる、すぐには表現できない後味の悪さを感じる映画だった。なぜ気持ちがここまで悶々とするのかわからなかったが、どうやらそれは自己嫌悪であったことが数日経ってわかってきた。 ジョーカーがどのように今のジョーカー となりえたのかが描かれているが、貧困、暴力、精神障害と自分の力だけでは抜け切れない環境の悪循環の中で、もがき苦しみ、できる努力はするものの何も報われず踏みにじられ続けるジョーカーの姿は哀れそのものだ。 救いがないのが、ジョーカーの持病である

          ジョーカー :私たちの正義が試される時

          社会批評: バンクシーvsチームラボ

          「アートが、アート好きな者のためではなく、金持ちのものとなっている。」と、憤慨するバンクシー。ストリートアーティストとして活躍している彼の作品は、作品に関わるパフォーマンス活動も含めて分かりやすい社会風刺のメッセージに溢れている。 先日、作品が高額に落札されたことに対する腹いせなのか、バンクシーは過去の自分の作品を「適正価格」で抽選販売すると公言し、富裕層お断りのメッセージ付きでWEBサイト「GDP」をオープンした。 過去にも自身の作品を、NYのメトロポリタン美術館前の露

          社会批評: バンクシーvsチームラボ

          アラビアのロレンス:他人の物語に生きる

          アラブをトルコから解放するためのイギリス人であるロレンスは、アラビア半島の部族をまとめて奇跡的な勝利をもたらす。もともと聡明で向こう見ずな自信家のロレンスは、戦いに勝利する度に、自我が肥大化していき周りの意見を聞く耳を失っていく。 自己効用感が最大限に膨らんだ結果、白人である自分の外見も顧みずに敵の陣地に無防備にも出かけてしまい、そこで捕まり拷問にあったことで挫折を味わうことになる。自分自身も他の人と同様に生身の人間であることを自覚することで、今度は一転して、軍事的な立場を

          アラビアのロレンス:他人の物語に生きる

          フランシス・ハー:不器用な私的人生の学び方

          他人の目を気にすることなく、真っ直ぐに育ってしまった、もういい大人のはずのフランシス。 「あなたは、何がしたいの?」「自分の心に従って生きるのが一番よ。」と、自発性を大切にするアメリカで育った、特別才能があるわけではない、まぁまぁ普通な主人公が同世代と比べて遅れて経験する、ほろ苦い日常的な現実が描かれている。 他人からの評価は気にせず、自分が好きなことを中心に素直に育った彼女の心の中にあるのは、100%の濃縮度で大好きなダンスと親友のソフィーの2つだけ。恋人と別れる時もあ

          フランシス・ハー:不器用な私的人生の学び方

          魂がふるえる:目には見えないけど確実にあるもの

          若い頃の塩田千春は、自分の生命とひたすら対峙するかのように荒治療的なやり方で体当たりで作品づくりをしている。 ・夢で自分自身が絵になることを見たことに着想を得て、頭から真っ赤なエナメルペンキを被り、絵と一体となる作品。 ・数日の断食後に裸で洞穴の中に入り込みそこから転がり落ちる作品。 ・バスタブの中でひたすら泥水を頭から被り、泥で覆われた目元や口元が苦しげな映像作品。 どの作品からも自分の中にある魂を荒々しいやり方を通してでも感じ取ろうとするアーティストの若かりし頃のパワ

          魂がふるえる:目には見えないけど確実にあるもの

          クリスチャン・ボルタンスキー展:死の体験旅行

          ボルタンスキー展は、精神的刺激が強すぎて、色々な感情が喚起されっぱなしで、見終わる頃には1つの旅が終えたような気にさせられる。旅行を終えた後に自宅のベットに飛び込んで、旅先で体験した出来事を思い出して振り替えりつつも、ぐったりと疲れた体を癒すためにベットに体を委ねているあの脱力感に似ている。ただし、その体験の中身は「死」で、死の淵から死そものも、そして死後の世界まで描かれている死にまつわるフルコースだった。 「Departure」(出発)というライト文字から展示の案内が始ま

          クリスチャン・ボルタンスキー展:死の体験旅行