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キャニコム、アメリカへ⑥

もう無茶するしかない。

機種を増やさない限り売上は拡大しない。2006年も過ぎ、2007年になる。また赤字決算だった。借金は膨れるばかり、自分への負担も多く、本社からは白い目で見られる。プレッシャーしかない。このまま平気で日本には戻れない。悲壮の3年目を迎える。

欧州の担当からイギリスの部品メーカーを紹介される。これを搭載すれば米国で土木建機が売れるのではないか?という話だ。売れる可能性のあるものは何にでもすがる。トウモロコシ畑の機械は何台売ってもまだ1億円という目標に到底到達ができない。また「草刈機まさお」も米国販売に漕ぎ着けないといけない。苦悩の日々と組立、関税はどうしたらいいのか?

この時期は米国では大きな家、大きな庭のブームが収束し始め、小さな区画の家が増えてきた。(実際には大きな家なのですが)シニア向けのGate Communityが増えてきたのがこの時期。建設機械でいえばミニショベルなど小型建機がブームになってきた時期だ。これを見越して小型建機運搬車を販売のチャンスがあるのではないか。そして現地のお客様から指摘されました。

これは農業用の運搬車ではない。小型の建設用運搬車だ。

誰も農業用として使用していないじゃないか?米国の通関、税関の会社に交渉をしてみてはどうだ?そしたら25%の関税というのは回避できるのではないのか?という話だった。
それと同時に乗用草刈機というカテゴリーが当時輸入に使われるHSコードがなかった。類似商品である芝刈機(Lawn Mower)というカテゴリーに入れられていた。これも関税の障壁で米国での販売ができない状態だった。雑草刈車というカテゴリーを作ればもしかして販売ができるのでは?という考え、まとめて交渉をすることになった。これが初めて「Ride-on Brush Cutter」という言葉がアメリカで使われる事となり、米国市場が他社も含めて参入が活発になり市場が大きく変化するきっかけになる。

ちょうどこの通関の問題を真摯に対応してくれたのがクロネコヤマトのシアトル支店だった。当時はグローバルロジスティクスに注力して、海外コンテナ輸送について力を入れていた時期だ。その当時の担当者と関税の見直しと新しいカテゴリー「Ride-on Brush Cutter」というジャンルを作り上げようということでスタートした。

使用現場の調査、お客様の属性であったり、すべて調査をした。農業機械という目的で参入をしたが、結論として小型土木建設機械として販売した方が需要が伸びるという結論に達した。販売店も売るのではなく、レンタル会社向けの商材として販売する方が製品、部品双方に新たな販路が見いだせると確信をした。通関手続きの異議申し立てを申請し、HSコードの変更を依頼するのみだ。アメリカの農業への固執からレンタル会社への販売。まさに「顧客を変える」ことによって、新しいビジネスの創出を迎えた瞬間であった。これからアメリカでのビジネスを大きく変化させる「コンクリート砂男」がそういった現場主義で生まれた。

HSコードの異議申請は認められ、農業用運搬車(Agricultural Vehicle)から建設作業用運搬車(Construction Vehicle)。芝刈機(Lawn Mower)は雑草刈車(Ride-on Brush Cutter)としてアメリカに販売する流れとなった。

ここまでの年月はすでに4年を経過してアメリカでの5年目を迎え、大きな成功を確信していた。売上も1億円(100万ドル)もあと少しの所まで到達し、来年こそはという思いがあった。ただまだ落とし穴があった。

リーマンショック。。。。

また続きます。

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