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しきから聞いた話 178 地下鉄

「地下鉄」


 数年ぶりに訪れた都市で、地下鉄に乗った。

 もう半世紀以上も走り続ける路線で、駅の改札も、構内も、車輌も、ずいぶんと古びた印象を受ける。久しぶりだから、余計にそう感じるのかもしれないが、ホームに立って壁を見ると、何ヶ所も水がしみ出していて、やはり経年劣化だろうと思う。
 なんとなく、天井が低い。
 なんとなく、照明が暗い。
 生き物と同様、鉄道も駅も、年を取っていくのだろう。

 ガタゴトと電車がホームに入ってきた。
 キーッとブレーキがきしみ、がくんと停まって扉が開く。中に入るといきなり、左手前の座席から声をかけられた。

「あら、いやだ、久しぶりだわ」

 見知った初老の女性が、目を丸くしてこちらを見上げていた。

「よくこちらに、いらっしゃるの」

 ええ、まあ、と、曖昧な返事をしてしまった。
 とっさに状況を判断できなかったのだ。
 なぜなら、その女性は、数年前に亡くなっていたから。

 女性はそれきり、こちらに話しかけることもなく、次の駅に着くと、会釈だけを残して降りていった。

 少し楽に息ができるような心持ちになって、車内をぐるりと見回すと、どうやらこの電車、乗るべきではないものに乗ってしまったらしい。20人ほどの乗客が座り、3人が立っているが、どうも皆、すでに命数が尽きた者達のようだ。

 さて、どうしよう。
 次の駅で降りようか。いや、しかし。
 不用意に降りて、あの世とこの世のはざまに落ちても厄介だ。

 どうしたものかと思案しつつ、隣りの車輌に入って行くと、右手の7人掛けの真ん中に、またもや見知った老人を見つけた。

「おや」

 あちらも気付き、驚いた顔になる。

「どうして、あんたが」

 ぎゅっと眉を寄せ、首をかしげる。しかし、こちらが何と答えようかと思う間もなく、老人はにこりと笑った。

「ああ、間違えたか。迷ったか。それじゃあ」

 言葉を区切り、斜め前の扉の上に掲げられた路線図を見た。

「うん。次の駅で降りるといい。駅員はいないから、立ち止まらずに改札を抜けるんだ。もし誰かに話しかけられても、何も答えたらいけないよ」

 あぁ、そういえばこの老人は、生前もずいぶん物識りで、あれこれと教えてくれた。

 ありがとう、と言ったとき、窓の外が明るくなって、駅に着いた。

 降りたホームはがらんとして、まるで人影がない。
 振り向いて、車窓の中の老人に頭を下げると、にこやかに手を振ってくれた。

 がたんごとんと動き出した電車は、暗いトンネルとなった線路の先へ、消えていった。

 電車も駅も、古くなると、不思議なものに近付くらしい。

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