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ルッキズムは昭和のかほり

特筆する才能などないが、ミスコンで勝ち抜く方法は誰から教わることもなく心得ていた。私がミスコンに出た昭和の終わりは、こうしたコンテストの審査委員は全員おじさんだった。おじさんたちの質問内容はよく覚えていないくらい他愛のないものであり、自分のアピールはあくまで控えめに、そして、多少惚けた回答をするのがウケるコツだった。これは何もミスコンだけでなく、その後の就職活動のインタビューでも同じ手法が通用した。当時の一部上場企業の面接者もミスコンの審査員も同じ年代の男性で同じような人物が求めらていたし、そうした空気を読むことで、足りない能力をうまくヘッジしてきたのだろうか。中にはこちらがドン引きするようなわざとらしいアピールをしている人がよくいたが、その後見かけていないので採用されなかったのだろう。昭和のレールに知らず知らずのうちに載せられ、先行きのことなど何ら不安も疑問も感じず鈍感なままこれまで生き延びてきたことに今更気づく。

初めて参加した母校のミスキャンパスは、以前より主催団体が独自に開催していたが、正式にスポンサーをつけてコンテストを開いた第一回目ということで、私が初代であることを大分年月が経ってから知った。当然ながら、まだアナウンサー登竜門などと呼ばれることもなく、出演者も今はおとり潰しとなったサークルの友達に拝まれて出場したのではないだろうか。私も友人にパリ旅行や着物と豪華な賞品が貰えるからと、口説かれて何も考えずに出た次第だ。インターネットなどない時代だから、世の中の人々はほとんどが情弱で、メイクやファッションも限られた情報源である雑誌で学んだ。あの頃は背の高い女性も今と比べると少なかったし、小顔で手足が長い人はもっといなかったので、スタイルだけは武器になることを知っていたので、手持ちの服でミニ丈のワンピースを選んだ。髪を整えるのがうまくできないから当時はやっていたカーリーヘアでごまかしていた記憶がある。眉毛も整え方などわからずかなりワイルドだったが、実はブルック・シールズやヘミングウェイ姉妹を意識したつもりだった。

昨今の事前イベントやインターネット投票もなく、また、水着やウェディングドレス審査もない。ダンスや一芸を披露することすらなく、芸は応援してくれる男子が代わりにやってくれるので、ただ、おじさん審査員の質問に上手に答えれば良いだけだった。

発表直前に主催サークルの友人がこちらに何か言いたげに手を振っていたのをよく覚えている。そう、その時点で私の優勝を知った友人は嬉しくてついついサインを送ってしまったのだ。かくして、初代ミスは誕生した。

その後も、イタリアの車や他大学のミスにギャラ出演したことがある。開催形式も勝つための手法は同じだった。それらの審査委員にはバブル絶頂期の人気職業を金持ちと貧乏人に区分けして一世を風靡したイラストレーターや雑誌で頻繁にみかけた自動車評論家もいた。

その後ミスコンタイトルが特段役立つことも役立たせようとしたこともなかった。在学中、いろいろなタイトルのミスをひな壇に、アンチ・ミスコンタレントがいじくるという設定のバラエティー番組に出たことがある。アンチ・ミスコンのおすぎとピーコのどちらかに、あんたは学校で一番多く単位を取ったってことかしらと突っ込まれたときに、つくづく無芸な自分を再認識したものだが、このタイトルは年と共に自身のネタと化していき、それは今でも時折、大変熱いネタとして登場する。

さて、男女雇用機会均等法の制定が1985年、施行が1986年。その後、改正男女雇用機会均等法が、それぞれ1999年、2006年に施行されているが、私が就職活動を開始した1987年の企業の応募要項には、「容姿端麗」やら「身長」についての記載が普通にされていた。CAやらレセプショニスト、ショールームコンパニオン、そして1980年代にはなんと百貨店ではエレベーターガールが健在であり、こうした制服着用の職種に「容姿端麗」ということばはつきものだった。エレベーターガール、略してエレガに関しては、今では手動エレベーターが残る日本橋高島屋くらいしかこの職種は残っていないが、たまたま見つけた募集要項を見てみると、かつての呼び名でななくエレベータースタッフとなっている。よってエレガという言葉を消滅しているに違いない。年齢差別をしてはいけないので、募集要項の一番目立つところに20.30代活躍、という表記つきである。もちろんそこに「容姿端麗」の要件はない。

この4文字が募集要項から消えたところで、選ぶ側が見てくれで選ぶなら同じでないかという人もいるが、募集要項に堂々と記載されているのとないのでは応募する側の心理にだいぶ差があるものである。それは、この4文字は非常に主観的なものであり、応募する人の自己申告となるからだ。皆、自分のことは棚に上げて、自分の価値基準とズレる人が応募しているのを目にすれば、何か言いたくなる。実際にこの就活バトルの渦中にいるときは、微妙な空気に包まれて息苦しかく、それも今では懐かしい。

自分プロデュースとういことにかけては、デジタルネイティブたちは遥かに優れておりバブル世代はついていけない。垣根を越えて作り出される新たなクリエーションに多少のジェラシーを感じながら、今世界が直面する不条理で、先行きが不透明過ぎて、希望が持ちにくい世の中にあって、以前より遥かに奇抜で迅速なアピール力を要求され続け押しつぶされてしまいそうな世代を頼もしく思う。かつてのミスコンは廃止になったり、主旨を変えて開催されたり、また、バブル期に日本のファン人口が絶頂期を迎えたF1においては、グリッドガールを廃止したり、Body Positive MODELがランウェイを歩いたりと、LOOKISMに纏わる世界はめまぐるしく変化している。採用面接のやり方もより数値化できる形でなされる反面、それがために今は弊害も出始めた過渡期である。時代と共に価値観は変わる。不要なものは捨てていけばよい。いつの世もぶれない軸があればいい。誰かが手をさしのべてくれることはできるが、自分にしか作れな軸を長い時間をかけて築けばよい。どんなに傾いても最後にバランスが取れるような強い軸を作り上げたものが生き延びる。

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