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老親のためによかれと思ってやるのだけど、”ひとりよがり”になるせつなさ

今、私の母は有料老人ホームで暮らしている。
大腿骨骨折や糖尿病による意識障害で救急搬送を繰り返し、入院をきっかけに認知症が進んだが、私たち子ども(姉妹3人)のことはわかる。それぞれの連れ合いのこともわかるし、話の辻褄がおかしいことは多いけれど会話もできる。
今のホームに移って約2年、私たち姉妹やその家族が交代で母を訪ねる暮らしが続いている。
施設と相談しながら、ときどき外出に散れ出したり、食事に行ったりもする。
昨年は父の一周忌を実家で行ったのだが、その時には母を実家に連れ帰った。母は遠方から来てくれたお坊さんとも和やかに話をし、終了後は実家にて、母がお気に入りだったお料理屋さんからのお料理に舌鼓を打ち、とてもごきげんだった。
母はコロナ騒ぎが始まった2020年にサ高住に住み替えた。一人暮らしが不安になってきたからだ。コロナがおさまったら旅行に行けるようにと、歩く練習?を繰り返していた時に大腿骨骨折。歩く時は歩行器が必要なまでには回復したものの完全に元通りには戻らず、同じ経営の老人ホームに住み替えた。

お正月は、母をホームから自宅に連れて帰ろう

コロナも少し落ち着いてきたので、お正月はみんなで母を囲んで実家で過ごそう!
そう思ってホームにも相談すると、体調も安定しているしそれはいい!となって、外出準備をしてくれることになった。
母にとっては3年半ぶりの我が家になる。
よかった、よかった。
私たち姉妹は大満足だったし、先も長くないだろう母が自宅に帰れてよかったという思いもあったので、私たち姉妹は、昨秋から企画を立て始めたのだ。
母は1月2日が誕生日で、両親が元気だったころは、我が家では毎年2日に一族集合と決まっていた。母が作るおせち料理、父のお郷でもある金沢から取り寄せるかぶらすし、姉妹それぞれが作ったおせち料理、等々を持ちより、孫の代までが集まっていた。
それがコロナで途絶えていたので、久々に復活しよう。
普段食べられないであろうおいしいお寿司やうなぎをそろえた新年会にしよう。
姉妹で相談しながら企画を進めてきた。

母のための企画だったのに・・・


今年の1月2日、私たち姉妹はその企画を実現させた。
けれど、正直なところ、これでよかったのかとモヤモヤが残っている。 なぜなら、母が全く喜ばなかったから。
母を自宅に連れて帰る。
久しぶりに我が家に帰れる。
普段食べられないであろうおいしいお寿司を用意する。
家族みんなが集まっている場に連れ出す。
家族みんなに囲まれて誕生日を過ごす。
ワイワイした場で過ごす
・・・どれも、一般的には「幸せそうな風景」かもしれない。すべて母のためにと私たちが考えたことではあったけれど、肝心の母が喜んではいなかった。
ちょうど実家にいるときに親戚と電話でも話したのだが、親戚からは「優子さん(母の名前)が羨ましい」と言われたけれど、母にとってはうらやましがられるような形ではなかった。
どうやら私たち姉妹の自己満足だったようなのだ。

認知症になった母の心ははかりしれない


私たちの価値観、一般的な価値観からすれば「幸せそうな風景」も、認知症になった今の母にとっては、苦しい場面のように見えた。
お寿司なんて食べたくない。
大勢がワイワイしている場にはいたくない。
落ち着いた和やかなホームから遠くに移動なんかしたくない。
ということなのだろう。
そのうち、緊張のせいか、妹のことすら娘だと認識しなくなっていったのだ。
ホームに戻り、日ごろお世話になっているヘルパーさんの顔を見るなり、母は満面の笑顔を浮かべ、わからなくなっていた妹の顔もすぐにわかるようになったのだ。
誰のための新年会だったのか・・・
私たち姉妹は妙に反省、しょんぼりだった。
この話、voicyでも話したところ、似たような経験をしていた人のコメントもいただいた。こういうこと、珍しいことではないのですね。
私たちは今の歳よりも歳をとった経験がないから、高齢者の気持ちは想像するしかない。ましてや認知症の人の気持ちはますますわからないものだ。
母とのこういう経験が、ひとつひとつ、認知症の日とのことを知っていく機会になっていく。
将来自分が歳をとったらどんなことを望むのだろう?
私は今、そんなことを想像するきっかけをもらっているのかもしれない。

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