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列車と別れの話

今年多くの人に出会った。

それは仕事でも、趣味でも、ネットでも。

僕はそこから感謝することと、人に助けを求めることを学んだ。


「人に迷惑をかけてはいけない。」


なんとなくそう思っていた。

嫌われたらどうしよう。

そんなことが思考の中心にいた。

今でもそれは治ってないと思う。

やっぱり僕は嫌われたくないし、誰かと比較したり、ベキで動いてしまうことがよくある。

大事なのは迷惑をかけないことではない。

感謝を忘れないこと。

迷惑をかけながら人は生きている。

完全な孤独も完全な独立もありえない。

だから助けを求めていい。

自分一人でできることなんて知れているし。

まだ助けを求めることは苦手だが、以前に比べれば僕はそれなりに楽しく生きている。

やっぱり人と出会い助けてもらって、ちょっとだけ笑顔で毎日が送れてるからだと思っている。




ただ逆に僕の元を去った人もいる。

別に僕が嫌いだと感じる人が去るのはいい。御自由にという感じ。

実際Twitterのミュート機能もこれでもかと駆使しているし。

見たくないものは見ない。

自分とは価値観が違うとか、嫌いだなと思う人がどうしてようがどうでもいいと思う。


今回は僕の元を去る好きな人たちの話。

最近、よく僕は人の出会いや人生を「線路」に例える。

人生というのは長い列車のようなもの。

それぞれの線路が何本も並んでいる。

もちろん線路は曲がりくねったり勾配があったりする。

それぞれの線路がそれぞれの道を描いている。

僕らはそれに翻弄されたり、楽しんだり、悲しんだりしながら人生を進めていく。

人との出会いというのは、たまたま列車が横並びになることだと思う。

その時に速度が違えば、置いていかれたり、追い抜いてしまうし、

その時に急にカーブや坂が来れば、離れてしまう。

だから自分が好きだから、自分が一緒にいたいからでは一緒にいられない。

だからある程度「偶然」の要素もある。

たくさんのイベントに行っていたころ。

帰り道によくこのことを考えていた。


イベントに参加すればいろんな線路が近くなる。

楽しいことも起こるし、自分と近い列車に出会えるかもしれない。

でも当然そんだけ電車が近寄れば事故も起こりやすくなる。

僕は多くの事故にも巻き込まれたし、多くのステキな出会いも見てきた。


そして僕はイベントへの参加を減らすことを決めた。


そんな頃、今年よく連絡を取っていた友人たちと疎遠になる事態が重なった。


音楽が共通項だった人、

仕事が共通項だった人、

特に共通のものはないが、なんとなく楽で一緒にいた人。

いろんな人がいたが、数人の友人との連絡が途絶えていった。


僕は寂しく思った。


あんなにいろんな話をしたのにな。

いろんなところにも行った。

あんなものを食べた。



生活の中で共有した部分を思い出すことも多くあった。


もちろん、彼らには彼らの都合があったのだろう。

僕が何かしたのかもしれない。

でもそれは今となってはわからないし、論点はそこではない。


だから何も僕にはできない。

ただ彼らの判断を受け入れること。

それは自分自身を受け入れることに似ている。

何も加えず、無条件で受け入れる。


結局、彼らの線路が僕の線路から離れただけのこと。

人生とはそういう出会いと別れの連続だと、どこかのつまらない小説で読んだ覚えがある。



列車はゴオゴオと音を立てながら走る。



僕は最終車両に向かい、窓をあけ、少しだけ後ろを振り返ってみた。

ありがたいことに周りにはいつもの列車が走っている。

手をふれば振り返してくれる仲間がいる。

困った時には笑顔で手を差し伸べてくれる仲間がいる。


でも離れていってしまった列車を僕は少しだけ思い出してしまう。


全部は持てない。

手放すことも必要だ。


100人の知り合いより、3人の友人。


この一年そんなことを本気で思う。


だからこそ、僕は君たちといた時間をたまに思い出すよことにするよ。

僕の3人の友人にも話すと思う。

君たちとの時間はとっても楽しかった。

それが僕の一部になっている。

本当にありがとう。

もう会えないかもしれないけど最後に一言。





メリークリスマス

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