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MBAの準備をしながら「駐在員妻」体験

3ヶ月の新婚生活

INSEAD(MBAの学校)から内定をもらった私は、晴れて夫の暮らすベルギーに戻ってきました。ベルギーでつきあい始めて、私が日本に帰国し一年半ぶりに一緒の街に暮らせました。八月からはフランスのビジネススクールに通うので3カ月だけでしたが、夫と一緒に暮らせました。その後、10年にわたり、今年私が仕事をやめてドバイで一緒に暮らすまで、私達夫婦はヨーロッパの2つの都市で週末婚をすることになったので、とても大切で幸せな時間でした。

夫の家は一人暮らし用だったので広い家に引っ越すことになりました。私が夫の「扶養者」となったことで、夫の会社が与えてくれる家の予算が家族用となり上がったのです。

また、フランス語を勉強する予算まで夫の会社が出してくれました。

つくづく、海外駐在員は、女性が働かないことを推奨しているような制度を設けていると思うと、ありがたさと同時に働く女性として憤りも感じました。

新居を探してブリュッセルの物件を夫と回るのはいかにも新婚という感じでウキウキしました。季節は初夏、日照時間が長く、カラッと晴れた日が多かったです。四月から八月のブリュッセルは、日光を浴びることが大好きなヨーロッパの人々も幸せそうに歩いています。街全体が美しかったです。


優秀な「駐在員妻」との出会い

ベルギーに来てすぐに、夫のサッカー友達の奥さんを紹介してもらいました。英語、フランス語、中国語ができて、最近まで現地採用で働いていたといいます。

初めて日本人で、日系企業のアシスタント業務ではなく、現地企業でバリバリ働いている人に会いました。ヨーロッパでの仕事探しについてアドバイスしてもらえないかお願いしました。

とても正直な人で、「実は私クビになっちゃったの」と、ほぼ初対面の私にも話してくれました。それでも私から見れば、内定をもらえただけでもすごい、と思いました。

面接対策などについても聞いてみると、「かっこいい言葉でしゃべりたいと思って、面接できかれそうな内容をフランス語で丸暗記したよ」とのこと。

1年後、ビジネススクールを卒業する頃には、私が英語で面接を受けないといけないのです。どうも遠い世界すぎて、ピンと来ませんでした。

三カ国語話せることが卒業条件

彼女は、フランス語の語学学校(Alliance Francaise) もおすすめしてくれました。フランス政府の補助金が入っている学校で授業のレベルも高かったです。

私が通う予定だったINSEADでは3カ国語を話せることが卒業条件です。MBAが始まったら、授業だけでも十分に忙しいので、入学前にフランス語のレベルをあげないといけません。

そのため、インテンシブコースに申し込み、平日の朝9時からお昼まで毎日3時間グループレッスンに通いました。それでも月謝3万円で、日本でフランス語を勉強することに比べると破格の安さでした。

私は当時、駐在員妻の「普通」という基準からみると、異常なモチベーションでフランス語を勉強していました。週5日、毎日3時間の授業に加えて、授業の前後に近くのカフェで予習・復習をしていました。

全く大変だとは思いませんでした。午後はビクラムヨガに行き、料理もしていました。全ての時間を自由に使える生活は、6年間、サラリーマンとして不自由な生活を経験した後、まるで酸素が濃くなったような、若返ったような、身体が軽くなったような、そんな気分でした。

「駐在員妻」との距離感

ところが、語学学校を教えてくれた優秀な彼女は、週に2回の授業さえ休みがちでした。大丈夫か聞くと、「誰もあなたみたいなペースで勉強できないから」と言われました。

この時、仮に駐在員妻という人生を選んだとしても、日本人の駐在員妻達とは親しくなれないように感じました。駐在員妻の中では、特例的に、現地就職を果たしていた彼女から見ても、私の上昇志向は距離を感じるものだったのです。子育てに専念されている多くの駐在員妻から「優秀ですね」などとお世辞を言われつつ、距離を縮められないのかも知れないという気がしました。

実際には色々な方がいると思いますし、日本で面白い仕事、活動をされていて、話せば楽しい女性とも出会いはありました。

ただ、おおざっぱにまとめてしまうと、社会でバリバリ働きたい、夫が海外駐在になっても自分のキャリアも犠牲にしたくない、という私の価値観は共感されないように思っていました。

駐在員妻について私が描いていたイメージは、安定した大企業で海外駐在をするような「優良物件」の男性と結婚を手に入れる、かわいい小動物のような女性像でした。お互いに興味を持ち合わない別の生き物、という感じでした。

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