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【エッセイ】アポロの窓からベトナムは見えたかい?

満面の笑みを浮かべながら彼は近寄って来た。

僕は知っている。
こんな時、彼は決まって「くだらない話」を僕にしてくるのだ。

何度も何度も繰り返す
諦めの悪い男。

「なぁ、カジノくん。僕クシャミを止める方法を発明してしまってんけどな、知りたい?」

彼はいつもこうだ。
地味に僕の知的好奇心を奮い立たせる。

僕は食い気味に答えた。
「ししし、知りたいっす!!!」

皆さんどうですか?
ちょっとだけ知りたくない?

僕はこういう「ちょっとだけ気になる話」がたまらなく好きだ。人生を豊かにするのはこういう「ちょっとだけ気になる話」に興味を持てるかどうかではないか、とさえ思う。



彼はMさん。
当時50代、肌艶がある黒々とした髪の生瀬勝久似のおっちゃんだ。
僕がギター講師をしていた頃、音楽教室で生徒募集を担当していた営業マンだった。

このMさんのサジ加減、努力次第で僕ら講師の生徒数が増減し、生徒数に比例して僕ら講師の収入も増減する。

つまりMさんのトークと営業力に僕らの生活がかかっていた。

このMさん、実は関西の60代以上のベテラン・バンドマンなら知ってるであろう関西ローカルでそれなりに有名なバンドのベーシストである。

中指と人差し指を立てて奏でる彼のフィンガーピッキングは力強く繊細だ。

その昔「優勝バンドは某有名企業のCMソングを担当出来る」という特典のコンテストで優勝し、CMソングがテレビで流れていたらしい。
曲が使われなくなった今でも歌詞の一部がその企業のキャッチフレーズになっている。

ちなみにその大会の準優勝が
小室哲哉のTMNetworkだと言うから驚きだ。

Mさんはそのバンドのリーダー。

アポロの窓からベトナムが見えたかい?

世代は違うが、彼と知り合った後この歌詞を見てその発想力と表現力に僕は震えた。
「才能ってのはこういう事なのか」
僕レベルがどれだけ背伸びしても思いつかないフレーズだ。

「バンドは趣味」と言い放って彼らは誘いを受けてもプロにはならなかった。
地元の幼馴染で組んだバンド、音楽を仕事にして仲が悪くなるなんて真っ平ごめんだと。

そしてMさんの日常生活は音楽教室の受付に収まった。

しかし残酷なもので、その才能と引き換えに神様は彼にとある重荷を与えた。

TENNEN

そう、彼は天然

「急いでるから先頭車両に乗る」
とか言い出すガッツ石松クラスの天然さんなのだ。



その日、僕はレッスンの休憩中に受付近くでアコースティックギターを弾いていた。
これは講師として僕なりの営業活動。

モテる

僕らギター講師はモテなきゃいけない。
ギターに興味を持った人に「この人に習いたい」と思ってもらわなきゃいけない。

みんなと同じ事だけやってたら、みんなの中に埋もれるだけ。だから自分を見てもらう為の、そして自分を選んでもらう為の努力ってやつが必要。

そもそも人を惹きつけられなきゃ、
それはミュージシャンとしておしまい
だ。

その為、僕は音楽教室のどこかしこでさりげなくギターを弾いて人気者になる為のアピールをしていたんだ。
もしかしたら誰か興味を持って、習ってみたいって思ってくれる人が現れるかもしれない。

しかし、人の目を惹きつけるというのは諸刃の剣。
なぜなら、そのアピールは時として招かれざる客をも招いてしまうからだ。


満面の笑みを浮かべながら彼は近寄って来た。

「なぁ、カジノくん。僕クシャミを止める方法を発明してしまってんけどな、知りたい?」

え、何それ!?
クシャミを止める方法!?
どうでも良いよ
それより「発明」とまで言い切れる自信すげぇな。

いや・・・
でもな・・・
ちょっとだけ気になる!!

様々な感情が交差して僕は食い気味に答えた。

「ししし、知りたいっす!」

クシャミ、それはまるで暴走機関車。
誰も止められない。
しかしMさんはその暴走機関車を容易く止める方法を発明したと言うのだ。

彼はセンターでキレイに分けた艶やかで若々しい黒髪をかき上げて誇らしげな眼で僕を見た。

「そか、じゃあ教えたるわ」

僕はギターを弾く手を止めた。
もはや営業活動なんてどうでも良い。
ミュージシャン失格だ。
僕は彼の虜になっている。
今なら彼からどんな商品だって買ってしまいそうだ。

彼は加藤鷹のように人差し指と中指を立てた右手を高々と上げ、振りかぶった。

ゴクリ・・・

僕は唾を飲んだ。
彼がモーションに入った・・・
いよいよ始まるのだ。

そして2本の指先を鼻下に優しく添えた
その手つきはさすがベーシスト。

「ここを・・・こうっ!!」

と強く言い放って彼は鼻下を強く押した。

・・・

静寂が流れた。

皆さんお気付きだろう。
僕も同じように思ったんだ。

それ・・・

カトちゃんぺ!!やないか!!

Mさん、あなたの発明じゃないんだ!!
すでに発明済みどころか、お茶の間でも大流行したやつなんだ!!

ところがMさんは勝ち誇ったドヤ顔で自信たっぷりに黒髪をかきあげて僕を見ていた。

「今度試してみます」
と言い残して僕は教室へ帰った。

レッスンをしながらも僕の心の中では「クシャミを止める方法」を試したくてウズウズしていた。

ギター以外に何の装備も無い丸腰の僕が、とうとう暴走機関車を止める呪文(キアリー)を覚えてしまったのだ。

「ふふふ、クシャミ、きてみろよ。
 オレがいつでも止めてやるぜ」

きっとPKの時の一流ゴールキーパーはこんな気分なんだろう。

しかし、その波はなかなか訪れない。

教室の窓からちょくちょくMさんが覗いてくる。アポロの窓からベトナムを見るように。

彼は窓から嬉しそうに、先っちょを尖らせたティッシュを僕に見せつけてきた。

自分でクシャミを出して実演する気だ!!

自作自演!?
気になる
気になりすぎる!!
僕はもはやレッスンよりもMさんに心を持っていかれている。・・・講師失格。


レッスンが終わった僕は急いで受付へ向かった。早く・・・早くMさんの元へ!!

しかしMさんは接客中だった。
ガッカリしてる僕を見つけて彼は目で合図を送ってきた。

いつもの左ウインク5回点滅

「アイシテル」のサイン
ならぬ
「アトデヤル」のサイン

僕がいつも通りギターを弾いてアピールしようとすると、Mさんが僕を呼んだ。
どうやら接客中のお客さんがギターを習いたいと言っているらしい。

僕はお客さんにギターよりもクシャミを止める方法を教えてやりたい気分だったが、そこは仕事だ仕方がない。

と言うわけで
「僕と一緒に練習して上手くなりましょう!」
と大阪で1番爽やかな笑顔を振りまいた。

僕の胡散臭い営業スマイル効果は絶大だ、多分。

この人・・・あと一押しで・・・
落ちる!!

手応えがあった。
ここで実演でもしたら完璧だ。
幸い僕は今ギターを手に持っている。

「カジノくんは弾き語りもやっていt・・・」

・・・不意にMさんのトークが止まった。
どうしたのかと僕とお客さんは、ふとMさんを見た。

Mさんの意識はアポロに乗って宇宙へ旅立とうとしている。

「ハ・・ハッ・・・」

まずい、
ビッグウェーブ!!

や・・・やつだ!!
ヤツが来たぞぉぉぉぉぉ!!

こんなタイミングでいきなり機関車の暴走が始まったのだ!!
Mさんは目と口が淫らに半開きになっている。
もうダメだ止められないっ!!

しかしMさんは諦めない。

加藤茶、いや加藤鷹スタイルの指を作り右手をバイブレーションのごとく震わせながら大きく振りかぶった。

ま、まさか・・・
お客さんの前で「カトちゃんぺ」を!?
普通ならまずやらない。
ただこの男はド天然だ!!

予期せぬタイミング、いきなりの本番

2、3回投げた事がある程度のピッチャーが
甲子園の決勝で投げるぐらい無謀だ!

彼の頭はもうすでに後傾している。
間に合わないっっ!!
Mさんっ、ここでやっちゃダメだ!

諦めたらそこで試合終了ですよ?

安西監督の声が届いたのだろうか
・・・Mさんは諦めない
そう、彼は諦めの悪い男。

Mさんの指先が鼻下に当てられた
もう限界だ、涙目になっている

やめろ・・・
まにまにまに間に合わないって!!
やめろぉぉぉおぉおぉぉっ!!
Mさぁぁぁぁぁぁぁっんんん!!

押しちゃダメだぁぁぁぁぁぁぁぁぉぁっっっ

押すなよっ!?
絶対に押すなよっっっ!?

ポチっ



ビクッ・・
ふぁっ・・っんん・・ん、むふっ
・・・ビクビクッ・・・ブフォッ

静寂が訪れた。
機関車は止まったのだ。

しかしわずかに遅かった。
その代償は大きかった。

何があったか説明しよう。

わずかに遅れたMさんの指先。

身体はもうクシャミのモーションに入っていた。その途中でクシャミが止まったらしく、体だけがクシャミの体勢で勢いを止められずに大きく揺れ鼻水をぶちまけたのだ。

カトちゃんぺをしながら

お客さんは固まっていた。
意味がわからないのだろう。
ドン引きしている様子が僕には手に取るように分かった。

空気は冷え切っている。

目の前のおっさんが突然話を止めたと思ったら、カトちゃんぺをしながら涙目になって「むふっ」などと奇声を上げて大きく揺れながら鼻水を噴き出したのだ。

Mさんは僕を見て涙目のまま
ニヤリと笑みを浮かべた。

それは何のサインだ!?

その後お客さんは
「入会するか考えてまた返事します」
と言って帰ってしまった。

あと一押しだった。
間違いなくあと一押しで即決だった。

この天才ベーシストがお客さんの前で涙目で奇声を上げ鼻水を噴き出してビクビクと大きく揺れながら「カトちゃんぺ」さえしなければ・・・

普通にクシャミしたら良かったのに・・・
なぜだ、なぜ諦めなかった?
なぜ無理矢理に止めようとした!?
なぜ初体験をお客さんの前でささげた!?

僕はこの天才、いや天然に一言いってやりたい気分だった。

しかし残念がる僕を見てMさんは誇らしげな目で黒髪をかきあげて言い放った。

「なっ?ちゃんと止まったやろ?」

うるさいわっ、アホっ!!



それから10年ほど経った時、僕はライブハウスにいた。あるバンドの40周年ライブだ。
そこには60歳を越えた元気なバンドマンがスポットライトを浴びていた。

スポットライトが生み出した光と陰。

もうすでに引退した僕からはステージ上の彼らが眩しく見えた。

アポロの窓からベトナムは見えたかい?

年齢、体裁、挫折、現実

僕はいったい何から逃げたんだろう。
そして僕は今、何と戦ってるんだろう。

ねぇMさん、教えておくれよ。
あなたは今、何と戦ってますか?

Mさんが髪をかき上げた指の間からは少し白くなった髪が見えた。
きっとそれこそがベトナム兵にもアメリカ兵にも負けない歴戦の勇者の紋章
マイクを通したMCの声は溌剌として昔と何も変わっていない。

「えー、相変わらず諦めの悪い奴らで仲良くバンドやってま・・・
・・・へエーックシュッ」

突然のクシャミで会場が和やかな笑い声に包まれた。
舞台の上ではスポットライトを浴びながら、おっさんになった幼馴染メンバーに肩を叩かれてMさんが恥ずかしそうに笑っている。

線路は続くよ、どこまでも
きっとそうなんだろ?

機関車は走り続けるのだ
そして彼は今日も先頭車両に乗るんだろう

駅に止まった列車が走り出すように、やがて次の曲が始まった。

アポロの窓からベトナムは見えたかい?

彼はステージの上から僕を見てニヤリと笑った。

僕は懐かしい中指と人差し指から生み出される、挑発的なエイトビートのメッセージに包まれた。
フィンガーピッキングは相変わらず力強く繊細だ。

きっと俺だってまだまだやれる
あんたに負けるなんて真っ平ごめんだ

僕はステージの下から、ライトに照らされている諦めの悪い勇者に目で合図を送った。

精一杯、「モウニゲナイ」のサインを。

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