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『音の糸』 堀江敏幸

アイボリーカラーと控えめなデザインの装丁が静かに美しい本書は、クラシック音楽をめぐる思い出が香り豊かに綴られたエッセイ集だ。
少年期、学生時代、パリ在住時など、様々な時と場で著者が経験した出会いや出来事が、その時に耳にした名曲と共に筆に起こされる。聴覚はもちろん、珈琲やストーブのにおい、雨の日の湿度など、様々に五感を呼び覚ます文章は、自室で一人静かに読んで感覚を開かせたい。

人形浄瑠璃の身ごなしでするすると舞台中央にあらわれ、低い椅子をもう一段低く、調整してから、黒光りする鯨を長い指で愛撫しはじめた。

エッセールはスペインの太陽から熱を抜いたような、曇りのない少し冷えた音を出す人である。

クラシック音楽に関してかなりの知識と嗜みを持つ著者。その持ち味の美しい文章は、なるほど音楽的でもある。音楽家の所作や作り出す音も自在に文章で表現され、想像を掻き立てる。

かと思うと、カラヤンの名を指して「和製発毛促進薬みたいな名前」と言うなど、飄々とした笑いのツボも楽しい。
カラヤンのどの辺りが発毛促進薬なのか、薬の名前には詳しくないのでよく分からないが、それでも、あのいかめしいハンサムな顔と発毛剤という異色のコンビネーションに思わず吹き出しそうになった。

そして、回想される思い出の出来事は、それ自体がまるで小説のような味わい深さだ。

レコードの箱を漁る指の快感はすでに知っていたけれど、好きなだけ買う楽しみとは、経済的な事情でついに無縁だった。円盤を選べば本を我慢しなければならない。本を手に取ってしまえば、円盤は遠くへ飛んでいってしまう。双方を扱う古書店に入るのは、じつに危険なことだった。

学生時代のレコード収集にまつわるエピソードは、一昔前の大学や学生街の情景を浮かび上がらせてノスタルジックであり、パリでのエピソードでは、閉館日の語学学校でのひとときや、図らずして他人の不器用な恋愛劇に巻き込まれた話など、他愛ないワンシーンにワーグナーやバッハが寄り添う。

中でも少年時代の思い出を綴ったものは、こんぺいとうのような淡さで心に沁みた。
休み時間に音楽室でレコードを流すから聴きたい人は来なさいと言う音楽教師や、「おまえはブラームスが好きなのか」と、ちょうど来日中だったサガンにかけて聞く国語教師など、登場する大人たちも著者の記憶の向こうで魅力的に輝く。

国語と音楽を担当し、実は有名な詩人でもあるというI先生についての記述には、特に興味を惹かれた。
直接教わることはないながら、合唱の指揮をされた際に受け取った印象から、著者が「先生はやはり詩人なのだと確信」したというI先生。少年期の著者の観察眼の鋭さもさることながら、どんなにか深い人間性を持った先生だったのだろう。

終盤のいくつかのエッセイでは、音楽評論家の故・吉田秀和氏のエピソードが書かれているが、これらも読み応えがあった。

何度も考え、何度も書き、何度も語ってきた内容を、いま眼の前にいる人に話すという点に留意して自然な抑揚をつけながら再話する。

吉田氏が心に浮かぶことを静かに語った、その語りを、著者はこう表現する。この部分を読み、語りの真髄とはまさにこれだと感じた。
本当に伝えたいことを人に話す時に、こんな風に話せるように、いつかなっていたいものである。その前に、話を聞いてくれる人がいる、耳を傾けてもらえる人望がまず必要ではあるが。

音楽を通して語られる時代の空気、人の魅力、文化への眼差し。
一つ一つの短いエッセイはどれも極上だ。
クラシック音楽が好きであればもちろんとても楽しく読めるし、そうでなくても、様々な読み方で楽しめる。
描かれる情緒あるシーンを堪能するもよし、音楽家のドラマに想いを馳せるもよし、示唆に富む言葉から思索を深めるもよし。そうして楽しく読んだ後にはきっと心が何かしらを得ている。

私は本書を読み、さっそくI先生の詩集を探して買い求めた。
興味はありつつ、その茫漠さゆえに踏み入ることを躊躇していた詩の世界に一歩つま先を入れるきっかけを、この本が作ってくれた。

さらに個人的な話になるが、ちょうど本書を読み進めている最中に、ある演奏会に出かけたのだが、終演後に見た演奏者名簿に、知人の名前を発見して驚いた。
何と言うほどのことではないが、私版のクラシック音楽にまつわる記憶に残る出来事が、本書が招いたかのようなタイミングで起きたのが面白かった。
心を込めて本を読んでいると、こういうちょっと楽しい偶然の一致がたまに起こる。

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