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『夜の樹』 トルーマン・カポーティ

カポーティの短編集は、何度も繰り返し読んできた一冊だ。
10代の頃に買った文庫本は何遍もページをめくられ何遍もかばんに出し入れされているためボロボロで、ページが一箇所はずれてしまっている。
数年ぶりに再読したが、シミだらけで栞紐もちぎれた本は今回も変わらず私を虜にした。


「他に行くところがないときは、空を旅するんだ。」
「しっかりしてよウォルター、わたしたち友達でさえないわ。」
印象的なセリフには、何度読んでも心が動くが、そこには再会の懐かしさも混ざる。同じ本を何度も読む醍醐味だ。

収められた9編の作品のうち4編が、ニューヨークを舞台にしている。どれも、ちょっと怖い物語だ。他の5編もそれぞれに素晴らしいが、私が特に好きなのがニューヨークのちょっと怖い作品たちなので、今回はそこに焦点を当てて紹介したいと思う。

例えば、『ミリアム』はこんな物語だ。

アパートで暮らす老未亡人が一人。
夫が遺した財産で、老婦人はつつましくも不足のない生活を送っている。
ある夜、出かけた映画館で彼女は一人の少女、ミリアムに出会う。独特な個性を持つ少女に何か惹かれるものを感じる老婦人。二人にはある一つの共通点があることも分かる。だが、ミリアムとの会話には少し違和感も感じる彼女。
そして、数日後のある夜に突然、ミリアムが老婦人の家を訪れて来るところから、違和感は完全に不穏へと傾く。
無理矢理アパートの部屋に入り込んだミリアムは、飾られた花が造花であることに不満の声を漏らし、ケーキを食べたいと要求する。
異様なミリアムを前に老婦人は、自分にはこんな時に頼れる人が一人もいないという事実に気づき愕然とする。
圧倒されつつとにかく食べ物を与え、ミリアムを家から追い返す老婦人。その夜は悪夢にうなされ翌日は一日家に籠るが、その次の日、気分は良くなっている。
外出した老婦人は幸福な気分で街を歩き、バラの花とケーキを買う。
〜孤独な老婦人は、自分では日々に満足しているつもりでも実は何か物足りないものがあった。それに気づかせるために現れたのが分身のような少女ミリアム。花を買いケーキを買い、生活の潤いが必要だったことに気づいた老婦人。〜
なんていう楽天的な展開も想定に浮かぶが、買い物の途中で不気味な老人に追い回されて彼女が再び自分の無力さを感じるというエピソードが挟まれ、不穏さは消えない。
そして、帰宅した老婦人の元に、またもミリアムがやって来る。。。

夜の映画館や大通りの喧騒といったきらびやかなニューヨークの街の姿と、そこに生きる一人の孤独な人間の不安の対比が印象的な一作だ。

他の3編も、明るいストーリーではない。
主人公はつましいタイピスト、野心的な若者、そして孤独な画商の店員。
何ら特別にひどい欠点があるわけではない彼らは、ただほんのちょっと浅はかだったり判断が悪かったり、自信がなかったりするだけ。
そんな彼らが、やや不気味な展開の中で、じわじわと「自分」を蝕まれていく。
ニューヨークという街の容赦のなさ、そこに生きる人々の孤独と不安定さが描かれた都会の寓話たちだ。
BGMにはHelen Carrの歌声が合う。


ところでこの本に限らずだが、よく読んだ文庫本、またペーパーバックの本は、少なからず同じようにボロボロな状態になっている。特に文庫本なんて大した値段でもないのだから買い直せば良いのだが、そうしないのは思い入れがあるわけではなくただ億劫なだけだ。
と思っていたが、今回ふと、そこにうっすら愛着も追加されているような気がした。何度も読んでボロボロにしたくらい好き、ということが目に見えて現れている本の状態に。
自分の歴史に愛着を抱くような年齢になったということか。新鮮な驚きだ。

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既視の海さんとの「冬の日に読みたい本」についての会話が、再読のきっかけになった。
既視の海さん、ありがとうございました。

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