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『タタド』 小池昌代

小学生の夏、10代の夏、20代の夏、50代の夏。同じ夏でも、それぞれに違う。
今回紹介する作品は、人生の疲れが少しだけ出始めた大人の皆さんの、夏の読書にお勧めしたい一作だ。

舞台は、海辺の家。
その家の主である夫婦とその友人の、計4人の50代の男女が集まって一晩を過ごす。
地方テレビのプロデューサーであるイワモトとその妻スズコ。イワモトの番組に出ている女優タマヨと、スズコの元同僚オカダ。
タマヨとオカダは今回が初対面だが、それを除けば、それぞれに公私にわたる長年の付き合いだ。

浜辺でとれた海藻をつまみに、ワインを飲む4人。
男と女であるから、互いに色っぽい目線がゼロではないが、若者のようにそれがムンムンしてくることはない。
気の置けない大人同士の、自然体の時間が流れる。

その時間を淡々と描いたこの作品の、何が特徴的かと言うと、その独特の浮遊感、曖昧さ、つかみどころのなさだ。
4人の会話はすんなりと行われているにも関わらず、今ひとつ密着していないような質感がある。リラックスした心地よい時間の隙間にも、ひんやりと冷たい水が一筋流れるような感覚がある。

その理由は、お互いになめらかに交流しつつも、それぞれの胸の内に密かな独立した思考が去来しているところにある。
しかしそれは険のあるものではない。お互いに明かす必要のない思考だというだけだ。
相手に幻想もなく、期待もなく、責めることもない。そんな男女が、酒を飲み、夜を過ごし、朝を迎える。

それをイメージで表すなら、静かな水の中に、4つの小さな油の球が、とぷとぷと漂っているような感じだろうか。静かで、安定していて、孤独だ。

作者は詩人であり、とにかく言葉の表現が美しい。

開け放たれた大きな窓から、幅の広い風がざわりと入ってきた。


風が出てきた。枝葉の騒ぐ音が、和紙和紙和紙とスズコの耳に聞こえる。

文章を読むだけで、風そのものを感じないだろうか。

内容を読むというより、心地よい文章の波に身を委ねるように読みたい作品だ。
大人の体にこたえる暑い夏。こんな、詩のように美しい小説を読んだら、体感温度も一度くらい下がるかもしれない。

(※作品の設定は、季節は春だが、夏におすすめと思いこのような記事にした)