【結】生と死の人生観

こんばんは。おきです。
今回は、私の日常に潜む、私の感情について。
※恋とか愛とかじゃなくて、の人にまつわる話。
この数ヶ月で感じる気持ちや気づきが増えるの、面白い。

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私の人生のテーマは「生と死」なのかもしれない。

そう思ったのは、
突然連絡がつかなくなった大切な人の1年を振り返ってだ。

連絡先を知っている共通の友人がおらず
その人が今生きているのか死んでいるのかも分からない状況で
私は今を生きている。

平気かと聞かれると、この1年平気じゃなかったが
丸一年たった今、平気になってしまった。気がする。

最後に会ってから今までの間、3回、その人の家に行ったことがある。

1回目は、前を通り過ぎただけ
2回目は、ドアをノックしただけ
3回目は、夜に明かりが灯るのを見ただけ

3回目、で、「生きてるんだな」ということを確認して
なんだか満足してしまった自分がいる。

そして、実は会えなくなった1年間のうち
少しずつ、その人が生きている合図をしてくれている。

最後に会ってから3ヶ月、連絡が返って来なくなり
最後に会ってから6ヶ月、既読がつかなくなり
最後に会ってから9ヶ月、SNSのアカウントがなくなり
最後に会ってから12ヶ月、活動の痕跡がなくなった

生きている確信を得て安心する反面
終わりを迎える行動へ進んでいる不安

その時、ハッと、してしまった。

私はどちらかなんだ
その人が「生きているか」「死んでいるか」で。
元気か、病気か、旅に出たか、喧嘩をしたか
病んでしまったか、恋に落ちたのか、人を殺したのか
そんなの全て、後回し。

初めは、
元気だったらそれでいい。
旅に出かけてしまったらそれでいい。
二人で会えなくなってしまった理由があるならそれでいい。
その人の背景に何かしらあるのあなら、それでいいと思っていた。

でも、それは一番に知りたいことではなくて。
生か、死か。それしか考えていなかった。
だから、「生きている」ことが分かって安心している。
そして次は「死へ向かっている」と思い込んで不安になる。
どうしても、その人が見えないと「死」を考えてしまう。
行動の一つ一つは、生か死か、どちらかなんだ。

そんな極端な私の思い。
重たいけど、私は私の生を心から愛しているし
誰かの生を心から祝っていたいと思う。

生きている、という事実に、もっと温かさを感じてほしい。


では、また。

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