何よりいやなこと
母がつらい。母がしんどい。よく聞く言葉は、きっと私にも当てはまる。母を心底好きになることはできないし、今でも十分やっかいで、どうか母が満足する「頼り先」が私以外に見つかりますように、と願っている。
でも何より辛いのは、嫌なのは、
母が母らしさを失うことだ。
あの気の強い、人を恨みがちな母が、切れて罵詈雑言を並べる、そのかわりに、認知症者だからとバカにされて、それに反論もできずしょんぼりするのを見ることだ。
母との関わりを振り返ったとき、母が嗅覚を失った、つまり認知症の最初の症状が出たときにから今までで一番悲しかった瞬間は、幻覚の原因を探るために脳神経外科を受診したら、そこの医師に「脳神経外科でやる治療はない」と言われたあとに、眼の前にいる母がまるでいないように
「レビーだろうし、そうならこれから幻覚がひどくなって体が動かなくなって寝たきりになって死ぬよ」
とそれだけ言われたことだ。
母はその日、ほとんど喋らなかった。専門医でもない医者のいうことは気にしなくていいし、どんな病気にしろ今を大事に生きよう。それだけ考えよう。そう言うと、「そうよね、じたばたしても仕方ないよね」とだけ母は言った。
そう言いながら、沈黙してしまう母をみたときほど辛い瞬間はなかった。母は泣かなかったけど、母の目の届かないところでは、私はその日一日涙がとまらなかった。私の「性格のねじまがった母」をこんなにしょんぼりさせる言葉を、認知症というだけで投げつけられる事態が耐えられなかった。
たかが医者のくせに、うちのクソババアに何してくれてんだと。
私が引くぐらい母がわがままでいられるなら、
どんなに消耗させられても構わない。
母が母の尊厳を失わず、最期まで生きられるなら。
どうか母が好き勝手やれる居場所を見つけてやれますように。
疲弊しすぎてくじける前に。
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