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【短編】菫咲く頃、午後の墓地にて(後編)

「こんな別れしかないようなところにばかり来てしまう……。これじゃあ、いつまでたってもダメなのかもしれませんね」
「そうかな」
「え?」
「見えているものは別れの形でも、ここには始まりから続く喜びも一緒に眠ってるんじゃないかな。別れを惜しむのは、出会いが美しかったから、そうでしょ?」
「……悲しいばかりです……」
「それは、悲しいと思えるほど、その人との時間が君の中にあるってことだよね」

 空を仰ぎ、彼は目を細めた。血色が戻ったせいでよくわかる。その顔は程よく日に焼けている。しばらく療養生活をしていてそれなら、元はずっと濃い色、太陽を感じさせるものだったかもしれない。

「世界はね、出会いと別れの繰り返しだと思うんだ。ほら、今君の頬を撫でていった風、これもまた出会いと別れだ。この瞬間に出会って、そして別れていった。でもそこに悲しみはないだろう? 悲しいという思いは、特別だからこそ存在するんだよ」

 ここに来たということは、彼もまた近しい人を亡くしたということだ。別れの痛みも知っているはず。だからじっと耳を傾けた。

「誰もが別れゆく。早いか遅いかの違いだ。でも、分かち合う時間をあっという間にもぎ取られてしまったら、なんて理不尽だろうって思ってしまうよね」

 熱いものがこみ上げ、私は大きく頷いた。

「僕もだよ。だから決めたんだ。もう一秒だって無駄にはしないってね。次に何が起きるかなんか、僕らには何一つわからないから」
「……」
「後悔しないように生きたい。今だと思ったら迷わずに行動する。遠慮なんてしてちゃダメだ。素直なことが一番だよ。伝えてこそ……。言いたかったのに、したかったのに……そんな思いはもう二度とごめんだ……」

 その言葉に、足元に絡んでいたものが砕け散ったような気がした。弱虫で泣き虫で、半人前の私だっていいのだ。兄が好きで菫が好きで、夢は海を見ることで……そんなちっぽけな夢だっていいのだ。私らしく生きればそれが何よりなんだと、そうまっすぐ肯定されて何もかもがストンと腑に落ちた。
 決して避けては通れない別れなら、その日に後悔しないよう生きるだけ。もちろんいつだって思うようにできるわけではない。だけどそう思って生きることで、大きく何かが違ってくるのだと理解できた。

「やっと笑ったね。笑っている方がずっといい。さあ……僕もうもう行かないと。親友が待ちくたびれているな」

 そう言うと彼は立ち上がった。私も一緒に立ち上がりながら、とんでもなく名残惜しかった。ああ、この人に、胸の中のあれもこれも話したい。そう思わずにはいられない自分がいた。

「そうそう、僕の親友はね、とても妹思いだったんだ。自慢の妹だ、誰にも渡したくないって言ってたのに、ある朝言ったんだよ。『帰ってきたらお前には紹介してやる』ってね。どうやら僕と彼女は似た者同士で、お互いを分かり合えそうだって言うんだよ。響きあうはずだってね。とんだ上から目線じゃないか。だから僕はちょっと拗ねてみせたんだ。本当は楽しみだったのに。彼は嘘を言わない人だから……。僕は返事をせずにそっぽを向いたよ。でも言えばよかった……。思い出すんだ。何度も何度も……夕焼けを溶かしたような蜂蜜色の髪、森を包み込む菫色の瞳……彼が口癖のように言うものだから僕もすっかり覚えてしまっ……」

 立ち上がったことでさっきより近くなった距離。彼の目がまじまじと私を捉えた。後れ毛が風に煽られる。木漏れ日はきっと、瞳の中で嬉しそうに揺れているだろう。

「お名前は?」
「え?」
「妹さんのお名前」
「……マリーベルだよ」

 気がつけば彼の胸に飛び込んでいた。大きなマントの中は知らない街の、けれど太陽と潮風の香りがした。しっかりとした胸に受けとめられて心の底から安堵する。伝わってくる鼓動の音に呼吸を重ね、自分も生きているのだと実感できた。

「バート! マリーベルは僕よりずっと素直で大胆じゃないか!」

 目をまん丸にした彼は兄の名を叫んだ。その声に悲壮感はなく、それどころか今にも笑い出しそうだ。

「一秒も無駄にしたくないって私も思ったんです」

 そう言い募れば、今度こそ彼が笑った。なんとも嬉しそうに大きな声で。私も一緒になって笑った。おかしくて楽しくてたまらなく幸せだった。

 似た者同士は響きあう。兄が届けてくれたメッセージ。私を覗き込む彼の瞳は澄んだ青だった。髪に揺れていた青よりもずっとずっと輝く青。ああ、これこそが海の色。きっと兄が知った海の色なんだと思った。

「そうだね。もう無駄にはできない。出会いの美しさは別れの悲しさを超えるって、二人でバートに教えてやろう」

 私を深く抱き寄せた彼がささやいた。温かい胸にもたれて目を閉じれば、その言葉が、憧れの潮騒のように何度も何度も心の中で繰り返される。髪に飾った菫が、今まで知っている中で一番甘く甘く、切なく香った。

 

                             (了)



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