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【ストロベリー狂詩曲/修正版】07.無調性の微熱⑨

(ホテルの一室みたいな、良い香りがする)

「靴を脱いでから、そこに上がって」

ルームシューズを脱ぎ、濃いブラウン一色の、シングルサイズのベッドに横たわって、羽毛の掛布団を顎先まで覆い被せる。
桜馬先生はスタンドライトを点けて部屋をオレンジ色に染め、背筋を伸ばしてベッドの端に座った。


接近し、改めて実感する。
Yシャツを着た広い背中は、隣りに居る人は大人。
下から見上げる横顔は照明の効果なのか、表情と心が温か味を帯びているように映る。

「ドビュッシーが作曲した『月の光』は、詩人のポール・ヴェルレーヌが作った同じタイトルの詩に感銘を受けたと言われている。でも、ドビュッシーより先に曲を発表したのはフランスの作曲家、ガブリエル・フォーレ。歌曲だった」

「かきょく?」

「うん。歌曲とはソロで歌ったり、少人数で歌うための曲なんだ」

先生の微笑みが濃くなる。

「訳は人によって変わる。僕はこう解釈してるよ。
 ーーあなたの魂は選りすぐりの風景。ベルガモの衣装に身を包み、リュートの音色に合わせて踊るも、ベルガマスクの下に悲哀を隠す。
彼らは短調の調べに歌を乗せる。
恋に勝ち得ても、
人生が華々しくも、
その幸福を信じる様子もなく、歌声が月の光と調和する。
寂しく甘美に彩られた月の光の静けさは枝に留まる鳥たちを夢へと誘い、しなやかな形をした、目を見張る大理石の噴水をあでやかに泣き濡らすあの月の光に」


「……上品ですね」

感心して褒めると、先生が首を傾けて私を見、「有難う」と言いながら目尻に皺を寄せて微笑む。

先生もこんな顔もするのかと思ったら、何だか、胸の奥が熱くなった。


「『月の光』から脱線していいかい?」

「はい」

「フォーレが息子に綴った素敵な言葉があってね。結構、好きなんだ。
 ーー私にとって芸術、とりわけ音楽とは、可能な限り人間を今ある現実から引き上げてくれるものなのだ」

「…………現実から、引き上げる?」

「音楽は心の薬になると僕は思っている」

「……現実が思い通りに行かないときも、引き上げる作用だって言えますか?」


◆つづく◆

*今回掲載したヴェルレーヌ『月の光』の訳詩は、他の方々がブログなどで掲載している訳を参考に、当方が自分なりに解釈してみました。

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