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【コラム4】アフリカの真珠 カンパラミュージックスクール物語①

注)写真は私が音大入学前にアフリカで働いていた時のものです。アフリカの数多くの国では、女子の進学率はいまだ高くなく、望まない妊娠、家事労働、女子への教育への理解が得られない、等が理由にあげられます(撮影:いちあ)。

今回は番外編です。

私が、音大に2017年に入学する前、2010年から2016年まで仕事で滞在した、ウガンダという国の首都カンパラにある、カンパラミュージックスクールという、イギリス人とウガンダ人が協力して開校した学校の人々や、そこで起こったこと、私が彼らから学んだことを数回にわけて書いていきたい。

ウガンダと聞いて、すぐどこにあるのかわかる人はそんなには多くないと思うが、アフリカの東部、ケニアのお隣にあるのがこの国で、首都はカンパラである。Perl of Africa(アフリカの真珠)と呼ばれ、アフリカにしては暑さも厳しくなく、人々も穏やかで、緑が多いことからこんな名前がつけられたようだ。

私はウガンダに赴任する前、ブルキナファソという、なんとも暑く、生活がしにくい、人々もこれまたお付き合いするのが大変な国で仕事をしていて、ウガンダに赴任すると決まり、この国が、Perl of Africa(アフリカの真珠)と呼ばれていると聞いて、それまでの過酷だった仕事や生活環境を考え、『フッ、なにがアフリカの真珠だよ~たかがしれてるよ~』と、文字通り、鼻で笑っていたのである。

しかし、この『40代のチェロ専攻音大生日記』のはじめのほうで書いたように、私が音楽をやると決めて、音大にまで入学して、人生が変わってしまったのは、ほかでもない、この国の、この音楽学校の、この学校で出会った先生や、オーケストラの仲間、合唱団の仲間のおかげだったのである。

カンパラミュージックスクール(以下KMSと略)は、2001年に、イギリス人とウガンダ人が協力して建てた学校で、その資金は大部分は、ウガンダに仕事などで滞在したイギリス人が支援したようである。学校の楽器や楽譜は、イギリスから、ピアノ、弦楽器など、すべて無償で、古くなって使わなくなったものを譲り受けて使っていた。音楽の先生は、イギリスからボランティアでヴァイオリン、ピアノ、フルート、など、その時々にみつかった先生が派遣されていた。内情は、KMSがボランティアの先生に住宅を提供する、という形であったようだ。

2000年より前には、Fionaという女性が、ピアノをウガンダ人に教えていて、彼女に教わったウガンダ人の何人も、その才能を認められて、イギリス人から奨学金を提供してもらい、イギリスやドイツに留学し、帰国して、KMSの先生になり、生計をたてる、というような、とてもうまく機能した、国際協力の形になっていた。このFionaという女性が発端となって、このKMSは生まれたようで、私がKMSで先生たちと話をすると、必ず、Fionaの名前がでて、みんな彼女にとても感謝しているのがわかった。

KMSの卒業生たちは、KMSの先生になったり、プロで演奏したり、ウガンダに仕事で赴任する家族の子女が通うインターナショナルスクールの音楽を教えたり、かなり稼ぎも安定している人が多かった。

ウガンダはキリスト教徒が多く、こどもは、教会で賛美歌をならうことからはじめていたので、音感がとても良い人が多かった。これが、音楽の基礎となっていたので、彼らがいろんな不利な状況のなかでも音楽センスが抜群な人が多かった。

この下の動画は、KMSがどうやって生まれたか、をドキュメンタリー風に撮影したものである。面白いので、のぞいてみて頂きたい。

https://www.youtube.com/watch?v=af-d_K_Da-Q

(動画がうまく見えない場合は上のリンクをコピー・ペーストして観てみてください!)

この下の動画は、KMSでも、初期にFionaからピアノを習って、イギリスに留学し、帰国してKMSでピアノを教えている、Paulという、私がピアノを習った先生でもある。

彼は、ウガンダで最古のカテドラルにある大きなオルガンを弾いているオルガニストでもあった。彼は、普段はKMSでピアノの先生をして、合唱団の演奏会では、ピアノ伴奏をしたり、一度は、私も参加するオーケストラでシューマンのピアノコンチェルトを弾いた際、ピアノでソリストをした。

私はこの彼から、音楽の多くのことを学んだ。私がチェロのグレード試験を受けた際、ピアノ伴奏をしてくれたのも彼だった。そして音楽理論、ソルフェージュなども彼から学んでいて、私はあまりにもソルフェージュができず、「お前の音程は”Ridiculos!!!(馬鹿げている!!)”」と怒ったのも彼である。

彼はイギリスに留学した際、無償でイギリス人家庭に3年間お世話になったそうで、それをとても感謝していた。彼からは、まだKMSが創立されてないころ、楽譜もなく、他人がみて練習しているのをノートに書き写して練習したんだ、ときいた。コピーをして、失敗したら捨ててしまう私が、なんでも恵まれているのに、彼らの100分の1もうまくなれないことが、とてもとても恥ずかしくなった。

KMSで出会った人々は、音楽理論も勉強し、かなりクラシックをしっかり勉強していた。私が参加するオーケストラで、Nella Fantasiaという美しい曲を、街のカフェレストランで演奏する際、ピアノの先生をしているジョージという青年が、この曲をうまく編曲をして、オケの全員のパート譜面を持ってきてくれた。チェロパートもチェロの1と2に増やす?などと私に尋ねてくれて、オーケストラへの編曲はそんなに簡単にできるものなのか、と彼の才能に驚いたのだが、その彼が、3センチくらいの鉛筆をなめなめ、かなり粗末なバラックのような家でそれを書いていると知った時の驚きは、今でも忘れることができない。

KMSの人々は、真珠以上の価値あるものを、私に授けてくれたように思う。

次回につづく。



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