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靖国神社なんてサティアンと同じ扱いで良いんですよ

8月15日は例年〖終戦記念日〗として扱われていますが、この日は終戦なんてしておらず、昭和天皇が負けを認めた〖玉音放送の日〗です。
実際に日本が降伏文書に調印をしたのは9月2日。この日が〖敗戦の日〗ということになります。
そんな「玉音放送の日」に長崎に滞在しているのですが(特急かもめ号乗り納めのため)、長崎では精霊流しと言って、大量の爆竹が鳴らされる日となります(これは長崎に来て初めてしった)。
そのため、今日明日は田舎部分まで歩くことはせず、一日中を市街地で過ごす予定です(滞在は17日の朝までなので)

さて、8月15日は何故か靖国神社が話題になります。
どうして8月15日に靖国神社に参拝するのかサッパリわからないのですけども、靖国神社への参拝は8月15日にする必要は全くないので、参拝したい方はいつでもお好きなタイミングで行けば良いと思います。

だって8月15日に靖国行って何を祈るんですか?
例えば「英霊の魂が安らかになるように」と言うのであれば、それは「トイレでセックスをします」と言ってるのと同じようなものです。

⛩靖国神社は「勝戦」をお祈りする場所

トイレは「排泄をする場所」であって「セックスをする場所ではない」というのは、全うな感覚を持ってる人なら誰しもが分かると思います。
トイレでセックス(不倫)をして芸能生命が危うくなった者がおりますが、不倫か否かを問わず、トイレはセックスをする場所ではありません。

ところが、靖国神社に至っては「トイレでセックスをすることを是とするような発言」が当たり前のようにまかり通っています。
まず靖国神社の宗教行為として行うのは〖招魂〗であって〖鎮魂〗ではありません。靖国神社の出発点は〖東京招魂社〗ですが、それまで日本に〖招魂社〗は無かったんですね。

そして靖国神社でお祈りすべき内容は「戦争の勝利」です。
何のための招魂かって、それは「軍神になった英霊をお招きして戦争への勝利をお祈りするため」です。

⛩正しい靖国観をお持ちの稲田朋美議員

戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事

何の場面でこんな発言したのかわかりかねますが、靖国を語る上での靖国観としては、とても正しい観点です。
そして私の「投資家としての投資先の偉大なる先生」でもあります。

いや、実は短期投資でブシロードとか、ちょっとばかり軍事以外の銘柄にも手を出してみたことがあったんですよ。
ただこう、ゲーム株とかは持ってて不安しかなかった(苦笑)
ブシロードは好きな会社ですけど、だからと言ってブシロードの株を持っていたいとは思えなかったんです。先行きが不安で(苦笑)
その点、軍事に関わる銘柄は安心して保持していられるんですよね。実際、稲田銘柄の一部は露宇戦争後に株価上がってます。参考までに言うと三菱重工が激上がりしました。

三菱重工長崎造船工場

まぁ露宇戦争で三菱重工が利益を得たかと言うと、それは無いと思うんですけどね。日本の防衛産業は防衛省の仕事で利益得られないし、武器輸出にも意欲的では無いので。
なので株価が上がった要因は他にあるかもしれません(なお三大重工は軍事以上に発電施設等のインフラ事業や脱炭素に強みがあったりします)

脱線しましたが、稲田議員の「戦争は霊魂進化に最高の宗教的行事」というのは、靖国の考え方とは大きく一致します。靖国で祀られるようになるためには戦争というプロセスが必要ですし、天皇(御国)の為に戦死する必要があるのですから。

⛩新興(カルト)宗教より地元の行事を大事にした方が良い

日本だと概ね江戸末期以降に生まれた宗教が新興宗教とされていて、有名なものに天理教がありますね。
そして、靖国と言うのは天理教よりも後に生まれたもので、日本の伝統では無いんですね。

ところで自民党議員の中には、韓国の新興宗教である統一教会(CIAの下部組織なんですが)と関わりある議員が多いと報道されてますね。
統一教会の基本的な価値観も靖国と似通っていまして(そもそも両者ともにベースが儒教なんで当然っちゃ当然なんですが)、多くの人を苦しめてきたわけです。

靖国神社は戦争へ向かわせる(公式カルト)装置として。
統一教会は多くの日本人からお金を巻き上げる宗教として、沢山の人の人生を壊してきたわけです。
靖国の扱いなんてサティアン(オウム真理教)と同じで良いんですよ。

長崎では今夜、精霊流しが行われるわけですが、これは故人の御霊を(爆竹で盛大に)送る伝統行事です。
果たして「英霊を普通の死者と一緒にするな」なんて幻聴が聴こえてきそうですが、靖国は「死んだ後も働け」というブラック企業さながらの価値観がベースです。戦没者を弔うには千鳥ヶ淵がありますし、もっと言えば嵯峨灯籠流しにお越しいただき、嵐山(京都)の地で、静かに戦没者へのご冥福をお祈りいただくのも良いのではないでしょうか。

嵯峨灯籠流しは1949年に始まった戦没者供養の行事でありますが、主催が嵯峨佛徒連盟と言うことからも分かる通り、伝統的な日本の仏教形式で行われる行事です。

今年は長崎に居てしまってるので、灯籠流しはいけないのですが、来年からは実家から帰る時に立ち寄り、ご冥福をお祈りしたいと思います。

きっと死者を弔う行事は各地にもある筈であり、お盆にお祭りが多く行われるのもその一環かも知れません(実際盆踊りはそうです)。

今年になって、3年ぶりにお祭りを開催するケースも増えてきました。
お祭りに行ける人は楽しく御先祖様をお迎えして、京へお越しいただける人は灯籠流しでささやかに戦没者のご冥福をお祈りいただいて、それこそ「戦争へと導いたカルトとの決別」こそが、戦没者に対する最大の供養になるんじゃないでしょうかね。

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