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歌誌『塔』2023年12月号作品批評(2024年2月号掲載)-前編-

みなさま、こんにちは。
歌誌『塔』が家に届くともう一か月経ったのだなと思います。
月日が経つのは早いものですね。

本記事では、2023年12月号分で私が担当した評の前半を採録しました。
自分が歌を詠む以上に、人様の歌を読むことに喜びを感じています。
後半はまた別の記事で…。

選者:梶原さい子
評者:中村成吾

夏帯の白きあさがお真昼間を日傘の影に咲かせてあるく(若山雅代)

『塔』2023年12月号p189

群れ咲く白いあさおが、少しぼかしてしっとりと描かれている。そんな抒情ゆたかで涼感ある着姿が脳裡に浮かんでくる。
「日傘の影に」というさりげない観察も実に行き届いている。そして、「咲かせてあるく」に至っては、何度か読み返しているうちにあさがおの花がそのまま凛とした女性に変化へんげしていくような不思議な魅力がある。
ここからさらに飛躍して、『源氏物語』の朝顔の姫君を思い浮かべるのもまた楽しい連想である。
夏帯をきりっと締めた後姿には清潔な色香がほのかに漂っている。

二本目の紙ストローもふやけだすむしろ資源を浪費している(淵脇千絵)

『塔』2023年12月号p189

近年、気候変動や海洋汚染問題への対応策の一つとして「脱プラスチック」が重要なキーワードになっている。ダボス会議二〇一六の報告書によると、海のプラスチックの総重量は二〇五〇年までには魚の総重量を上回る計算になるという。想像を絶する量である。
一方で私たちの身近な「脱プラスチック」としては、掲出歌のように紙ストローがあるものの、主体は却って資源を浪費しているのではないかと指摘している。たしかにその通りかもしれない。ストローの場合、紙であってもプラスチックであっても、残念ながらいずれも使い捨てであることには変わりはない。
他にも一時期話題になっていたEV(電気自動車)もほんとうにエコなのかどうか素人の私には疑問だ。エコではなく単なる人間のエゴなのではないかと思うこともしばしば。

悲しみは消ゆることなく砂丘に有島武郎の歌碑静かなり(足立克子)

『塔』2023年12月号p189

作者の足立さんは鳥取の方。調べたところ、鳥取市観光サイトに武郎の歌碑の写真が掲載されていた。
「浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしき我を見出でけるかも」という歌で大正十二年四月の作。
一ヶ月後に武郎は軽井沢の別荘で愛人とともに自ら命を絶ったという。
なお、結句が「見いでつるかな」になっている歌碑もあるそうだ。私は砂丘というものを実際に見たことがない。
よって、想像するよりほかないのであるが、武郎は茫漠たる砂地を見て人生の深いかなしみを感じ取ったのではないかと思う。
私もいつか鳥取砂丘を訪れて武郎が見たであろう景色を眺めてみたい。

幾つもの脳に出来たる「小さな詰まり」遠からず来るその日を怖る(新井雅子)

『塔』2023年12月号p189

一連の歌を拝読すると、主体は痛む腕をさすっていたり、猛暑日に体調不良になったりしている。そのような折にふと脳の「小さな詰まり」を思って不安に苛まれる。
たとえば、脳梗塞は、血栓が脳の血管に詰まるために引き起こされる病気。こう書いているだけでも背筋がぞくっとする。
脳や血管の中は自分では見られないことも恐怖心を増す一因かもしれない。状態が良いのか悪いのか、検査でもしない限りはわからない。
下の句を読んだ時に、「歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る」(永田和宏)が自然と口をついて出た。いつか遠からず来る…という不安は決して他人事ではないのである。

いつもなら遠くの町にいるきみの隣にずっといられる一日(伊藤未来)

『塔』2023年12月号p190

一連の歌から、主体は新幹線ののぞみ号に乗って恋人とともに関西へ旅行をされたようだ。
隣にいてくれることがしあわせという素直な相聞歌。
人とのつながりの大切さを思い出させてくれる歌である。

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