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歌誌『塔』2024年2月号作品批評(2024年4月号掲載)-後編-

みなさま、こんにちは。
今日は初夏の風。
四月号の歌評原稿を書き終えたら外に出る予定です。

写真はやまぶきの花です。

選者:梶原さい子
評者:中村成吾

中古にて求めし歌集の鉛筆の書き込み親し消さずにおかむ(城下令夜)

『塔』2024年2月号p177

古本を買ってひらいてみると書き込みがあった。うわ、書き込みがあるよ…と落胆するか、どれどれ何が書いてあるんだ…と愉しむか。主体は後者のようだ。歌集や句集では作品の頭に丸印がついている古本にお目にかかることが多い。気になる言葉に波線が引いてあったり、たまに自作と思われる歌が横に書き添えてあったり。味のある古本に出会うと少し嬉しくなる。

ゆくりなく職場の人に会ひたれば平常心であること難し(ダヤン小砂)

『塔』2024年2月号p179

「ゆくりなく」とは、思いがけなくの意。たとえば休日にふらっと出かけたときに通りで思いがけなく同僚に出くわしたとき。会うならもう少しマシな格好をして来るんだった、とか、オフの時に職場の人といったい何を話したらいいのかわからないとか、困ってしまう。私は下の句をネガティブな意味でとらえてしまったのだが(さすがに休日には会いたくないので)、もしかしたら意外なめぐり会いに嬉しくなって平常心を保つことが難しいという方もいらっしゃるかもしれない。安易な決めつけはいけないなと思った。

絶交をした親友や何年も会わない恩師をしまいこむ箱(藤田エイミ)

『塔』2024年2月号p180

これはどういう箱なのだろうかと想像したときに、年賀状をしまっておく箱かもしれないと思った。年末の慌ただしい時期にひらく箱。そこにはかつて付き合いの深かった友人や恩師といった自分の人生に重要な意味を持つ人がしまわれている。毎年新しい年賀状が上から重ねられていく。古いものはどんどんうずもれていく。積み重なった紙の束に時間の経過を思い知らされる。箱が人の思いを閉じ込めている。良い悪いではなく、ひとつの現象として。

電車には種類があってしばらくはあまり遠くへ行かない電車(杜崎ひらく)

『塔』2024年2月号p181

上京したてのころ、新宿駅に停まっている電車の種類に驚いた。山手線の黄緑、総武線の黄色、埼京線の緑、湘南新宿ラインの赤など他にもいろいろある。さらに同じ路線であっても、行き先や終着駅によっては「あまり遠くへ行かない電車」にも遭遇する。私はあまり遠出をしない人間なので、こういう電車には親近感がわく。
 そういえば人間にも種類があるかもしれないと思った。家族、友人、恋人、伴侶、仕事仲間など。「人間には種類があってしばらくはあまり遠くへ行かない恋人」戯れに拵えてみたが、掲出歌の魅力には遠く及ばない。杜崎さんの電車の歌には不思議な広がりがある。

振れば無し履けばたちまち現はるる靴のなかなる不可思議の石(浅野 馨)

『塔』2024年2月号p182

歩くと足の裏が痛い。靴の中に小石が入っているようだ。逆さにして振ってみる。出てこない。おかしいなと思いながらもまた歩き出す。するとやはり足裏に石の存在感がある。急いでいるときに限ってこういうイベントが発生するのは私だけだろうか。素直に共感できる歌だ。

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