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歌誌『塔』2024年1月号作品批評(2024年3月号掲載)-後編-

みなさま、こんにちは。

この前読んだ本で「来世とはまぶしきことば花こぶし」(柴田白葉女)・「みづうみは光の器朝ざくら」(片山由美子)という句に出会って、良いなぁと思いました。

それでは後半にまいりましょう。

選者:梶原さい子
評者:中村成吾

力尽き土に下りたる紋白蝶パンジーのそばに移してやりぬ(古栗絹江)

『塔』2024年1月号p161

いのちの終りを見届けることのできる者はまだ生きている者である。
蜘蛛や蜻蛉などの天敵に襲われることもなく、自動車にぶつかって跳ばされることもなく、そして臨終を馴染みの花のそばで迎えることのできるこの紋白蝶はしあわせであったと言えるだろう。
「移してやりぬ」というさりげない所作だからこそ、却って主体のやさしさが深く感じられる。


何気ない日々のなにげなさ思う 割れたガラスにやさしく触れる(ドクダミ)

『塔』2024年1月号p163

不思議と惹かれる歌である。
「割れたガラス」をひとつの象徴として読んだ。
私たちの日常あるいは一生というものはおそらく「割れたガラス」であるのだ。
割れていないガラスは完璧なもの、「割れたガラス」とは不完全なもの。
しかし、主体は「割れたガラス」を見捨てることなく、「やさしく触れる」のだ。
冷たいガラスと指のぬくもり。無機物のガラスと血の通った指先。
この不思議な魅力をうまく言語化できないもどかしさ。
それを含めて掲出歌の持ち味であるのだ。


ずっとずっと友達求めて来しこの子に本は友達いつも友達(中島奈美)

『塔』2024年1月号p163

友達。それはいま生きている人だけに限らなくてもよい。
もう亡くなっている人や架空の人も、さらには本というモノも友達になり得る。あなたがこころをひらいて訪ねて行きさえすれば。

以前、一首評を書く機会をいただいた折に、中島さんの「アイロンを肩の丸みに滑らせて残るぬくもりに指先あてる」という歌を取り上げさせていただいた。この歌も大切な歌として私の記憶に残っている。
今回も日々の暮らしの中にある中島さんのあたたかいまなざしを感じることができて嬉しく思う。

友達というテーマでは、日本画家 上村松園の随筆「友人」が心に残っている。書籍も出版されているが、Webの青空文庫で無料で読むこともできる。

「私の友人は、支那の故事とか、日本の古い物語や歴史のなかの人物である。小野小町、清少納言、紫式部、亀遊、税所敦子―そのほかいくらでもある。楊貴妃、西太后…数えればきりがない。心の友は永久に別れることのない友である。」上村松園『青眉抄・青眉抄拾遺』「友人」

私の大切な友人のひとりは『源氏物語』の花散里だ。「なつかしく心ばへの柔らかならむ人」(心ひかれる様で気立てのやさしい人)であり、彼女の登場する巻を読むと心が自然と穏やかになる。お子様もこれからいろいろな本を繙いて大事な友達と出会ってほしい。


名は知れど初めてまみえる人達に気圧されつつ歌会は進む(増田マサエ)

『塔』2024年1月号p165

初めて歌会に参加されたときの歌だろうか。
すでに出来上がっている歌会というコミュニティに新しくポンと加わるのはなかなか勇気のいること。ましてや有名な歌人のいる歌会であれば尚更だ。

私自身、去年の秋に初めて歌会に参加したが、その時は隅の席にちんまりと座った。掲出歌を読んで共感すること頻り。
今年は仕事の合間を縫って歌会にも参加したいと思っているがどうなるだろうか。

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