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「小規模な世界」さよなら大学生(7)

毎日、ネコの餌みたいな食事をしている。安いシーチキンに、安いなにかを混ぜて食べる。1食100円以下。生活の全てに、こういうノリが染み付いている。

「納豆以外 購入禁止」
かつて実家に帰ったとき、居間にこんな張り出しがあってぎょっとした。A4用紙に太い油性ペンで、母が手書きしたらしい。尋ねたら、「先月はお金が厳しかったから」と笑っていた。親子の血は譲れない。


ひとの海外旅行を見ると、「お金があっていいな」と思う。

仲良くない人から海外絡みの話をされれば、「実は日本から出たことなくて…」なんて自虐しながら牽制する。笑っているのは顔だけだ。就活で留学経験の有無を問われるたびに、「悪いかよ」という気持ちで「無」にチェックをつけていた。こういうのを、コンプレックスと呼ぶ。

だけど最近、気付いてしまった。なんと、人は、貯金ができる。あの子の旅行は、努力の賜物かもしれない。私は、浪費もしないが、貯金もしたことがなかった。

倹約は気持ちいい。1日が終わるとき、その日の出費が0円だと嬉しくなる。生活の全てが、そういうノリで回っている。

ネコの餌みたいな食事をして、古着で500円みたいな服に身を包んで、娯楽といえば、インターネットでジャンクな情報を食い漁る。完全無課金。それでいて、余ったぶんで特別なことをする発想もない。たんにお金が減るのは怖いから、その恐怖を感じずに済むことに喜んでいた。

だから未だに、自分が大きなお金を動かすイメージがまるでない。つねに小規模な世界で生きている。憧れるようなファッションブランドもなければ、行きたい国もない。なにも知らないから、夢もない。

これでいいのか。


本音をいえば、別にいいだろ、と思っている。
昔からこんな生活なので、今さら困らない。消費に価値を感じない。

どちらかといえば、ただ家の周りを散策したり、電車で知らない駅まで乗ってみたり、図書館で本を読んだり、こうしてブログを書いたりするほうが好きだ。食事は、好きな人たちといるときに楽しめればいい。

ただ、そのために、他人の旅行に「はあ お金持ちは良いですね」みたいな感想しか持てなかったり、あらゆるブランド品を「ブランド品」としか認識できなかったり、そういう人であり続けるのも嫌だった。生活に不満はないが、自分に不満がある。

とりあえず、服くらいはちゃんとしたものを着ようかな…。そんなことを思いながら、今日もシーチキンを開ける。寒い部屋に、「パキッ」と音が響く。(368日)

【さよなら大学生】
卒業するまで毎日、大学生活の何かしらを投稿します。カウントダウンに、ぜひお付き合いください。感想もらえると励みになります。


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