「やらないこと」も個性のうち
人の評価の方法は多々あれど、案外、似たようなところを基準にしている。
それは、「何をする人か?」「何を持っている人か?」「何を得意とする人か?」といった行動や態度に現れることを評価しているという点だ。
私は、それについてあまり考えたことがなかった。
なぜなら、人を評価するなどというのは、自分にはまだ無理だという考えを持っていたからだ。
ところが、いろいろと厄介な人間関係に巻き込まれることが増え、少しは人の評価という視点を取り入れて、つきあう人を選ばないといけないなぁと思ったから。
「友だちは選ばないとね......。」
悩みを相談した友人に手痛いアドバイスをもらったほどだ。
◇◇◇
では、自分が人を評価するとしたら、どのような評価をしたいだろうか?
そこで思いついたのは、何をしないかという「やらないこと」で評価をするという方法だった。
私は住居が比較的転々としていて、年齢性別もバラつきの多い交友関係だったからというのも理由のひとつだ。
多種多様な人と交流すれば、行動や態度の向きは、自然とバラつきが多くなる。だから、行動や態度を基準にしていたら、評価が難しくなってしまうのだ。
そうして、何をやらないかということで人のことを見るようにしてみた。
◇◇◇
私は、時間というものを命と同じくらい大事なモノだと考えている。
だから、時間の使い方を見るのには、好きなことに没頭している行動や態度よりも、時間を何に使わないかということを基準にしたいと考えた。
ゲームで遊ぶか遊ばないか、テレビドラマを見るのか、仕事をするときに音楽を聴きたいか。
そういうことに「時間の使い方」の目安を求めたのだ。
私は、ゲームでは遊ばないし、テレビドラマは見ないし、仕事をするときに音楽を聴きたくない。
つまり、それが私にとっての「時間」の使い方であり、「時間」の価値を意味している。
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「やらないこと」の例としては、他にも、次のようなものがあるだろう。
交通違反をしないか?
人が嫌がる行為を好んでしないか?
浮気や不貞行為をしないか?
これは、やらないのが当たり前のことだと思う人もいるかもしれない。
けれども、スピード違反のスリルを楽しむ人や、不倫を自慢するような人だって世の中にはいる。
極端ないいかたをすれば、これらをやる人は、やりたくてやるというよりは、「やってしまう」のだと思う。個性というか生き癖のようなもの。
だから、私は、そういう人は深くつきあう相手から除外したいと思うのだ。
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「やらないこと」は、人の個性を見透かす基準だともいえる。
あるいは、「やらないこと」を基準に選ぶことは「人の多様性を認める」ことにも繋がるだろう。
「やらないこと」を基準につきあう相手を選べば、どれほど趣味があわなくても、どれほど変わり者に映ったとしても、その人との交流は深まっていく可能性がある。
だから、交流する友人知人を選ぶときには、「やらないこと」を鋭く見極めるようにしたほうがよいのだ。
それと同じくらい、自分の「やらないこと」に筋を通すことも大切なこと。
何をやらないのか?
行動と態度でやらないことをキチンと示していこう。
そうやって素敵な交友関係を広げていこう。
眠れぬ夜に、そんなことを思ってみた。