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夫婦とは「どうでもよいこと」が似ていたりする

夫婦とは不思議なものだと思う。

他人として生まれ、それぞれの人生を送り、何かの拍子に出会って、一緒に人生を歩むことを決める。

たまたま私は一度結婚しているが、こんなことはもう二度とないだろうという稀有な体験だと感じている。それほど、不思議なものだと思う。



先日、とある神社へ行った。私は、ボランティア活動で、地域の歴史的な資料を調査している。その活動の補足資料を求めて小さな神社を訪れたのだ。

たまたま休みだった夫を「運動になるよ!」と声をかけて連れ出した。最近は、夫婦で出かけることは滅多にない。夫は感染症予防を口実に、休みの日は家でゴロゴロとして過ごしていることが増えたからだ。

その夫を駆り出したのは春の陽気。ちょっと外に出かけてみようかという気持ちになったのだろう。



派手な様子のない神社の境内で、淡々と作業をしていた私の傍で、夫が何かを熱心に写している。角度を変えたり近寄ったり離れたり。その様子の先を見ると、小さい虫が重なり合っていた。

いわゆる「春」というやつか。そう思うと、小さな笑いがこみ上げた。

一瞬の笑いの後、静寂が戻る。

私は子どもの頃、その意味を知る前から、生き物の交尾を観察することが好きだった。「神秘的な何かを感じる」と私が伝えると、夫も、そのような感覚になるのだという。



別々の人生を歩んできた2人が、「似たような感覚」を持っていたと気づくとき、不思議な何かを感じずにはいられない。

虫の交尾が好きだからといって夫婦になったわけではないし、どちらかが虫の交尾が嫌いであっても夫婦であることに支障があるわけではない。

どうでもよいことが似ている。それが夫婦というものだろうか。まだ答えにたどり着いていないのだが。

重なり合う虫の様子を無言で観察する2人の眼差しは真剣そのもの。

静寂に身を置く2人は、紛れもなく夫婦であった。