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咲かない蕾を切り捨てたことで

鉢植えのカーネーションの説明書によると、中身がスカスカした蕾は予め切り取ると、株全体の花をきれいに咲かせることができるのだという。



留学に失敗して帰国し、病の床に臥せている間、「どうしてこんなことになったのだろう?」と、考えていた。自らの行動を反省していたのだ。

身体の病は、無理をしすぎた自分が根本的に悪いと思った。そして、身体への負担が増えた理由について考えてみた。どうやったら改善できるのか、今後のために行動を起こしたいと思ったからだ。

改善方法を端的に言うならば「咲かない蕾を切り捨てること」だと思えた。

咲かない蕾を切り捨てることは、人生を選ぶこと。

その視点が私には決定的に欠けていた。

どんなことでも全力で頑張る姿勢自体は、決して悪いことではないのだろう。だが、体力には限界というものがある。人生の時間にも限界というものがある。

自分の人生をどういうものにしたいか決め、選んだことに力を集中させていくことが望まれるのだ。

私という一つの命を一株の鉢に見立て、咲かない蕾は切り捨てて、咲きそうな蕾に栄養を集中させていくことが人生を生き抜くためには肝心。

それができていなかった私は、精神的に未熟で、自分の体力と時間が有限であることを無自覚に、身体を壊すまで頑張ってしまったのだ。




身体を壊したあの頃は、どんな人生を生きたいのか私自身もよくわかっていない時期であったことも確か。

だから、全てを自分の責任だとは思ってはいないが、もう少しやりようがあったのではないかと苦い気持を抱く。

「未来への不透明さと期待感が入り混じる時期」を有意義なものとするならば、咲きそうな蕾と咲かない蕾とを、客観的に見極める意識で、目の前にあることに取り組むべきだった。

咲かない蕾を切り捨てることの意義を理解してもなお、咲かない蕾を切り捨てることに心が痛まないわけではない。

心が痛むからこそ、この人生を選び、これからも生きるという覚悟を新たにする。そして、咲かない蕾を切り捨てたことで切り拓けた未来を生きていくのだ。

そんな未来を生きてみたい。

そう思えるようになってから、ゆっくりと身体は快方に向かっていった。