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選ばなかった「人生」を笑顔で見送る

明るい陽射しの中、私の心はとても晴れやかだった。飛行機を眺めながら、選ばなかった「人生」を見送っていたのだ。

21歳の私は進路に迷っていた。飛行機整備士を目指す大学への合格を得ながら、結局は、別の進路を選んだ。

岐路を思い返し、悩み苦しんだこともある。でも、今は違う。あのときの選択を肯定的に受け止める「今」を生きている。

大人になるってどういうこと?

ちょっと哲学っぽい悩みのようでもあり、誰もが疑問に思うことがあるような、そういう問を自分に投げかけることがある。

「大人になる」ということは「自立する」ということとは違う。似て非なるものだ。

「自立する」ことには、それほど哀しい響きはない。

だが、「大人になる」ことには、ときに哀しい響きが含まれる。

「大人になる」という言葉には、必ずしも肯定的な側面ばかりではないのだ。

「夢を諦める」という言葉のいい換えとして「大人になる」という表現を使うこともある。コレは、憂いを含んだ「大人になる」の代表格だろう。

だが、その先に後悔がずっと続くとは限らない。

夢を諦めて選んだ道に対して、これでよかったと思えるように生きていけたら、過去の選択を「諦めてよかった」と思えるようになる。

つまり、選ばなかった「人生」を笑顔で見送ることができるのだ。

諦めたことや選ばなかったことは、進路であったり、職業であったり、恋人であったり、友情であったり、人によってさまざまだろう。

それらの選ばなかった人生は、もう二度と自分の人生に関わることはないと判っても、「これでよかった」という感覚が内側から湧きあがる。

その感覚が「大人になる」ということ。

哀しく憂いのある「大人になる」という時期を通過して、その先にある未来は自分自身の生き方しだいなのだ。

選ばなかった「人生」を笑顔で見送る。晴れやかで誇らしい気持ち。

それは特別な感情だ。

ただし、この喜びは、「その瞬間を迎えるまで生きるコト」が大前提。

苦しみや後悔の最中で命が尽きてしまっては感じることができないもの。

だからこそ人生は「生きる意味」がある。

苦しくても辛くても。

哀しみに心震えて、涙を止められない時があるとしても。

人生を生き抜くことに意味があるのだ。