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中国古代のお葬式Part1

 新年早々お葬式だなんて,縁起が悪いとお叱りの向きもございましょうが,習俗として,中国古代のお葬式はとても面白いというか興味深いので,ちょっと紹介してみたいと思います。

 人が亡くなると,中国では,大きく分けて4つの段階を踏んで,亡き人を送り出します。
1.   初喪礼儀
2.   治喪礼儀
3.   出喪礼儀
4.   終喪礼儀

 では一つずつご紹介していきましょう。

1.   初喪礼儀
(1) 属壙
 まず病人がもう危なそうだと思われると,部屋を掃除し,楽器などを片付け,居室の北側の窓の下に移し,下着を換え,新しい衣服に着替えさせます。それから病人を床に寝かせ,鼻の穴の前に綿糸を置き,それが揺れるかどうかを見て,呼吸が止まるのを確認します。

 ※そう言えば,中国ドラマを見ていると,その人が死んだかどうか確認するのに,その人の鼻の穴の前に指を突き出して,呼吸の有無を調べるという場面が何度もありました。日本人も,頸動脈など脈拍で確認するのではなく,かつては鼻から吐き出される息で確認していたのでしょうか?

(2) 招魂
 いよいよ亡くなったと断定されると,次に死者の魂を呼び戻そうと試みます。招魂をする人が死者の上下の衣服を持って屋根に上り,甍の東の端に立ち,「○○,戻ってこい」と死者の名前を大声で叫びながら,衣服を前方に三回振ります。その後,衣服を丸め,下で箱を持っている者に向かって投げ落とします。それを箱で受け取って蓋をし,東の階段から居室に戻り,死体の上に衣服を掛けます。そうやることによって,魂を箱で受け取り,死者に戻せると信じられていました。

(3) 訃告
 魂が帰ってこず,死者が完全に死亡したと確認されると,死者には真っ白な素服(喪服)が着せられると同時に,アクセサリーなど一切の装飾品が外されます。近親の者も,冠や装飾品を外し,束ねていた髪を下ろし,白い喪服を着けます。さらに男の場合は裸足になります。

 ※中国の喪服は今でも白一色なので,中国人にとって白という色は,縁起の悪い色という感覚が今でも残っているようです。
 ちなみに古代の喪服は,段階があるのですが,基本は麻で,縁を裁ったまま縁縫いをしていない布で作られます。

素  服


素  服

 喪服に着替えたら,時を移さずやらなければならないのが,近親者・友人・仕事の上司・部下達への通知です。遅れたり遺漏があったりしてはならず,ましてや秘匿するなどということは言語道断で,処罰の対象にもなります。
 通知の書き方は,相手との関係によって異なりますが,それぞれ一定の形式がありました。とても多岐にわたりますので,ここでは割愛したいと思います。

(4) 沐浴
 招魂の後は,近侍の者によって沐浴が行われました。井戸水を汲み,まず頭を洗い,次に体を洗って,爪と髭を整えます。頭を洗う場合は,米のとぎ汁を使いますが,君主の場合は粟のとぎ汁,大夫の場合は稷のとぎ汁,士の場合も粟のとぎ汁が使われました。
 唐代には規定ができて,死者が五品以上であれば,稷のとぎ汁を使い,四人で沐浴させ,六品以下は粟のとぎ汁を使い,二人で沐浴させました。

 そして使い終わった水は,西の階段の下に穴を掘って捨てます。
 切った髪や爪は,小袋に入れ,葬儀の時に棺に入れます。

 また夏は,沐浴の前に,君主や大夫の場合は寝台の下に氷を置き,士の場合は水を置いて,腐敗を防いだといいます。

(5) 飯含
 「飯」と「含」を合わせた名称であり,「飯」は米や貝を死者の口に含ませることで,「含」は珠や玉,貝などを含ませることで,沐浴の後行われます。その理由は,玉が山岳の精なので,死者の体の腐敗を防ぐからだとも,とりあえず口に食べ物を入れてやりたかったからだとも伝えられています。

 その前に,飯含をするために,死亡が確定すると,「楔歯」ということをします。これは角でできた柶というお匙のような形の棒を死者の口に入れ,口を閉じないようにするためのものです。

 口に含ませるものも,階級によって異なるのですが,唐代では
 一品から三品   「飯」には粟 「含」には璧
 四品から五品         稷       碧
 六品から九品         粟       貝

と規定されていました。
 含ませる貝は一枚から四枚。玉は長方形,方形,円形,三角形など様々でしたが,中には蝉や魚の形をしたものもありました。

飯  含


飯  含

 しかしこの習慣は,盗掘などの被害があったため,一般市民の間ではしだいに廃れ,やがて玉等の代わりに,銅銭を含ませるようになりました。

銅  銭

                  続く

            出典:喪葬史
             上海文芸出版社

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