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いじめよりも楽しいことを

思えば、世の中にはいじめる人が必ずいる。僕は加害者でもなければ、以外者でもない。けれど、周りでいじめがあったことは紛れもない事実である。

いじめをやめろ!ともいじめは絶対ダメ!とも思わない。人間が生きている限り、何かしらの対立はあるだろうし、集団が有る限りいじめは存在するだろう。

ただ、いじめる人の心理がよくからない。いじめに興味がないから。幼少期から、「不思議な生き物だな〜」と思っていた。

人にはエネルギーがあって、何かしらに対し、そのエネルギーを消費する生き物。なぜ限られたエネルギーをいじめに消費するのだろうか、何の生産性もないことにエネルギーを消費する人の気がしれない。

学生時代、エネルギーの大変は大好きな野球に費やしてきた。これまで所属してきた野球部の中には、確かにいじめはあった。ただ、いじめをやめさせるようなアクションも起したこともない。

「野球部なら野球やった方が良い」ただそう思っていた。

いじめをするような人間に、エネルギーすら費やすことがもったいないと思っていた。少しは知識のあるいまなら、もっともらしい理由を並べ、いじめから違う方向にエネルギーのベクトルを変えることができるかもしれない。

いまとなってはいじめゼロの世界にきてしまった。学校に通っている訳でもなければ、会社に勤めている訳でもない。パソコン一台で仕事をこなし、会うのは家族や気の知れた友人のみ。

この先もいじめに触れる機会はほとんどないだろう。いじめにふれるとしても、それは映画や小説の世界に限る。僕は会いたい人と会って、住みたい場所に住む限り。

僕の世界は僕のためだけの平和な世界だ。移動生活だし、僕は自分の観たい世界しか観ない。

けれど、社会を見渡すと、根強いいじめ問題があるようだ。僕は頭ごなしに「いじめは良くない」とか「いじめる奴はクソだ」なんてことは言いたくない。感情論でいじめっ子を説得しようと思っても、効果がないだろう。そんなんで解決するなら、世の中のいじめ問題はとっくに解決しているはずだ。

ただ、これだけはいいたい。

「いじめるよりも、他のことした方が楽しい人生じゃない?」と。ネット上でインフルエンサーを好き勝手に誹謗中傷するような人も同類の人間。リアルかリアルじゃないかの違いである。

いじめ側の人間に触れると、「せっかくこの世界は楽しいことで溢れているのに、もったいない!」と感じる。いじめる人の心理とかは僕は理解できない。

ただ、僕は「いじめより楽しいことを」推奨したい。いじめって何だか楽しくなさそう。エネルギーの行き場を失った人々がはけ口としてエネルギーを「浪費」しているのだろう。

いじめよりも楽しいこと、たくさんあるよ。



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