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障害児を持ち40歳で妊娠をした親が思う、出生前診断について

夫が呪文のように4人目が欲しいと訴えているのをスルーし続けているうちに、
洗脳のように、私自身が37歳頃から最後のチャンスかもと思うようになった。

次男が歩けるようになったら・・・
と思っていたが、そんな様子は微塵もなく、
いつしかまだ重くないうちにと考えるようになり、38歳の時に妊娠。

待望の妊娠も、流産をしてしまった。
その時の大量の出血は忘れられない。
妊娠はその当時6回目で、2回目の流産。
長女の時は切迫早産で入院をしているし、
長男も次男も切迫早産。
次男は脳性麻痺の肢体不自由児。
出産して母子ともに健康な子供を産むことは当たり前ではないということは、
誰よりも知っているつもりだったけど、

流産はやはり辛かった。

そして、先日39歳で7回目の妊娠。
いつも思うのは、
どんな子供が生まれるのかいうこと。
それは3人目の妊娠までは楽しみなことだったけれど、今は少し不安だ。

だって、過去の想像では、
健常児であることが前提で
性格がどうだとか、運動ができるとか、
絵が上手いとか、どんな顔だとか、
そういう種類のものだから。

まさか、脳性麻痺で歩けない子供だなんて想像もしなかった。
でも、まさにオランダへようこその世界。

イタリアやフランスと期待していたけど、
オランダも悪いものではない。

障害がわかった時の絶望感は、
四年の月日が経ち、全くなくなった。
もちろん将来を悲観したりもするけれど、
彼は彼。
彼は可哀想なんかじゃなくて、
世界一幸せそうに生きている。

でもね、
障害児を持つ親は時に複雑でややこしいもの。
この子はこの子で良いと思いつつ、
神様が1つだけ願いを叶えてくれるとしたら、
迷いなくその子の障害をなかったものにして欲しいと思うのだ。

そんなややこしい障害児の親、
7回目の妊娠、
4人目の妊婦検診。
楽しくてウキウキするわけもなく、
いっそのことスルーしてやりたいくらい。

同じ病院だけど、去年流産した時の過去2回と、今回の2回すべて医師が違い、
4回とも共通して開口一番に第3子の尋問から始まる。

そして、今回は、その次に聞かれるのが、
出生前診断について。

40歳の年に産むと1/86の確率で染色体異常の子供が生まれます。
検査しますか?考えていますか?という話。

何度も思い出すのは、
今回初回健診を担当してくださった
ベテラン医師とのやり取り。

どうしてだろう?
あまり考えていなかったので、
率直に、
「それは何で?検査をして陽性だったら、
準備ができるのか?」
というようなことを聞いた。

「出生前検査をして準備をするという意見もあるけど、出生前検査をして何かあった人の96%が諦めるのです。だから出生前検査をする=何かあれば諦めるということ。産む決断をするのであれば何も妊娠初期にがっかりすることはない」

これに対して、
その時には次男のことを先に聞かれたのもあり
彼は幸せだと!
という妙な強がりみたいなもので、
「受けないです!」
と強く伝えたが、
医師はこう諭すように言った。
「ご家族のご意見も聞いてみてくださいね」と。
そう、障害児を育てているのは私だけではない。

この初回妊婦検査から悩みに悩みました。
1週間は禿るのではないかと思うくらい。
「出生前検査」「出生前診断」でググりまくりTOPから10ページくらいまでは熟読。

私ももしかしたら、3人健康な子供が生まれていたら4人目、何も考えずに出生前検査をしていたかもしれない。
陽性であることの1ミリの可能性を深く考えず。

でも、今の私は、
出生前検査をして何かあったとして、
「産まない」という選択ができるのかどうか、それは第3子を否定して、
彼は産まれないほうがよかったという結論になるのではないか?
と考えると、涙が止まらなかった。

そして、療育でよく会っているお友達のダウン症の子供たちを否定することにもなるのではないかと。
そんなことを考えると、
思考がもうグルグルと回り、

それなら、「やらないでいいじゃない、簡単!」ともいかないのが辛く、悲しく。

夫に相談したところ「出生前診断?やりなよ。なんで?検査自体、恥ずかしいことするの?」と、とんちんかん発言で、
よくよく話すと「だってママが大変だよ?障害児2人とか・・・ママがいいならいいけどさ」と。
確かに、私は私の首を絞めているのかもしれないとまた悩む。
それでも、夫が出生前診断をしてくれと強く言わずに、私の意見を尊重してくれることが分かったことは、第一歩。

長女長男にも聞いてみると、「空くんみたいな子でもいいよ!歩けなくてもかわいいよ!〇〇ちゃん(二人が知っているダウン症の子)みたいな子でも?もちろんいいよ!でも清水君(親友)みたいな子がいいなぁ」

と、二人とも同じような反応。

「病気の子だったら産まれないほうがいいかな?」と聞くと
「えっ!!!なんで?」と言うのです。

それで、決意をしました。

もしもダウン症の赤ちゃんが生まれたら、
成人したら次男と同じ施設にいれて、
二人で仲良く楽しく
きっと暮らせるのではないかと。

それでも、ふいにグラグラとするこの決定

「出生前検査」を推奨すること自体
(少なくとも医師の方から伝えてきたので)
世間的には障害児を産むな、と言われているようでモヤモヤとするのです。

とはいえ、
障害児を育てるにあたり、たくさんの人に迷惑をかけるのもまた事実・・・・。

さて、結論。
出生前検査をするか否かについて、
またその結果どうするかについて
誰が責められるものか。

だって、それは他人がとやかく言うことでもなくて
本人と家族の問題だから。

一番大変なのは、
他でもないその家族なのだから。

私だって、
グラグラとするこの決断、
明日には変わるかもしれなくて、
諦める選択肢がもちろんある。
それは障害児を育てる愛おしさを誰よりも知っているとともに、
大変さを知っているから。

もしも、出生前診断以前に、
病気の可能性を指摘されたらどうするのか。
わたしには分かりません。
そう考えると、ただわたしに検査をする勇気がないだけかもしれない。

だから、産む決断をしたお母さんも、
産まない決断をしたお母さんも、
責めることはできません。

それでも、ふと思うのです。

障害のある子は生きていてはいけないのか?
もしかして、世間が障害のある子供にもっと優しくて、産んでいいんだよ!
と言ってくれるような世の中なら、
こんな風に悩まないのではないだろうか。

もしかして、生活の中に、
普通に障害のある子がいたら、
その子は生きなくていいなんて思わないんじゃないだろうか、と。

さて、出生前診断について。
1人でも多くの方が、
考えていただけたら嬉しいです。

出生前診断については賛否両論あると思うので、1つの意見として、優しい気持ちで読んでいただけると嬉しいです。

売上げの一部は、障害児のために寄付をしています。