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平成リーマンにようやく訪れた株高。『バブル崩壊』、『リーマンショック』、『コロナ不況』を乗り越え、こうしていまボクらはここに立っている。

株高、円安、脱デフレ。

新NISA開始元年。
干支の由来のとおり、竜が天に昇るように株価の上昇相場が続いている。

日経平均が3万6000円に達し、
なんと35年前につけた史上最高値“3万8957円44銭”超えも射程圏内に入ってきた。

これはバブル期の再来か?

ボクは35年前のバブルの恩恵を受けていない。まったくだ。手堅い親父だったのか、軍資金がなかったのかまでは定かではないが、株やら不動産に手をだすこともなく、バブル期真っ只中でも我が家の生活レベルが上がることはなかった。

当時、ど田舎に住んでいたボクにとって
バブルなんてブラウン管の中の世界の話。

大都会東京では、毎晩の合コン、ネオンの下にばらまかれるタクシーチケット、夜の帳に踊り狂うワンレンボディコンTバック、赤坂プリンス。ギルガメッシュナイトやトゥナイトが映し出す華やかなナイトライフ。
あのおっさんも、このおっさんも、みーんな札束をもってタクシーを止めていたあの光景。

そうか、大都会で働けば、
ボクかて札束を見せびらかせるくらいの金持ちになれるに違いない。そう洗脳されて、都会に憧れを抱きまくった少年期。

でも現実は違った。
中学を卒業するころには“バブル崩壊”のニュースとともに日本経済は浮上する気配なく低迷を続け、リストラという言葉が日常になった。バケツリレーで最後に不動産を抱えた芸能人の破格の借金話が暗い世情の象徴だった。

バブルなんてまったく知らないほうが
どれだけ幸せだったことだろうか。

ボクは就職氷河期世代。
なんとか滑り込みで1部上場企業にご縁あって入社するものの、初任給は額面で20万円弱。税金だの、社員寮だのなんやかんや引かれて手取りはたったの16万円。

今の子に信じられるだろうか。
こんなところが競争倍率20倍超え。
苦労と成果が見合わない。あの日あの時、ブラウン管で見せつけられたキラキラした世界はすでになかった。

学生時代から鼻先にバブルという人参をぶら下げられ走り続け、ゴールしたときにはバブルがとっくに弾け飛んで呆然としていた馬がボクら世代だったのだ。

人間は一度栄光を手にすると、簡単には捨てられない。

「話し上手よりも聞き上手だ。オレが現場でバリバリやってたころなんて、客先で黙って話を聞いてあげるだけで仕事を取っていたのだから」

入社してまもなくすると、
会社の一部上層部から、昭和のノウハウとバブルの栄光を捨てられない出世物語を聞かされた。

“それバブルだから通用したんだよね”
皮肉でも馬鹿にするわけでもない。移動中の車や居酒屋でバブル世代から放たれる止まらない武勇伝を聞いて、そう思うことが幾度となくあった。ボクら氷河期世代はその成功バイブルに従わざるをえないという現実。

地獄だった。

社会に長くいると、
成功体験には、「再現性があるもの」と「再現性がないもの」があるとの区別がつくようになる。同じようなやり方をしたら同じように成功できるものと、同じようなやり方をしたからといって同じように成功出来るとは限らないものがあり、

どちらかというと、

自分の努力や実力によるものではなく、周囲の状況や世情、景気状況があったからこそ成功出来た要素というものの方が多い。バブル期の栄光なんてのはまさにその最たるものなのだ。


一度記事にしたことがあるが、
コロナ禍での営業現場。社会全体として対面営業のみをベースにした昭和から続いてきた営業術が終わりを告げた瞬間であった。直接の対面は最小限に止めるべきであり、アポなし訪問は問題外になる。

が。

それでも人間は簡単に変われなかった。
バブル世代で残る最後のとりではこう言った。

「競合他社は在宅勤務で遠隔営業をしている。それは絶好の好機だ」、と。

彼が言わんとすることは、競合他社の営業マンが在宅勤務をしているのなら、我々が顧客先まで行って誠意をみせるだけで、一本釣りで契約が取れる、という主旨であった。誠意。足を棒にする。顔を売る。昭和の価値観でこの難局を押し切ろうという考えであった。そこには寒気がするくらいの昭和が根強くあった。

しかしこのとき、
皆が難色を示すと思われたこの指示に、
あろうことかコロナで暇を持て余した活力ある若手が、それいいっすねー、と上層部に同調し始めたのだ。競争を避け、ほめられて育てられたゆとり世代と、昭和の価値観の悪魔合体がなされた瞬間だった。

昭和リーマンと令和リーマン。

蚊帳かやの外に置かれた平成リーマンにとって、まさしくそれは拷問ごうもん以外のなにものでもなかった。

まわる〜、まわるよ〜、時代はまわる〜

ふと懐メロを思い出した。
バブル崩壊を経て、投資は怖いものと染み付いてしまっていた日本人の心に、ようやく投資マインドが舞い戻ってきた。

難しい経済のウンチクをボクがここで書いたところで仕方がないので割愛かつあいするが、35年前のバブル期と今では、経済状況が圧倒的に違いすぎる。

上場会社の稼ぐ力が違うため、実体が伴わないバブル期の株高ではない。いまの株高を誰も“バブル”とは呼ばないのはそれが理由だ。

そう。
就職氷河期世代。
バブル崩壊で日本経済が低迷する最中に入社したボクの世代にも、株価だけはバブル期に追いついた。

かといって、ボディコンTバックがナイトにステージで舞い、おっぱい丸だしが深夜TVに登場するようなアブノーマルな香りのする世界ではないが、デフレスパイラルの時代は終わりを告げ、あのときのように資産を築ける環境にはなった。

時代は、まわる。

生まれてきた時代によってツイてるツイてないは確かにある。 同じ出来事でも年齢や個人の能力や条件によって受け止め方も違う。

どうにもならない不平等もある。

しかし結局のところ、
自分の人生を決めるのは自分だけなのだ。
他人から「ホニャララ世代(笑)」「お前は負け組だ」といわれてもきっと関係ない。

バブル後高値で盛り上がる株式市場を横目にボクは思った。

時代は、まわるのだ。

だから「あーあ冴えない人生だ」と嘆くのもいいが、ときどき、自分自身が今なんとか生きているという事実を、

もっと、ずっと、評価してやっていい。

あれだけバブル後の冴えない時代に社会人になったボク。平凡極まりないボク。
それでも今こうして3児のパパとしてやっていけてるのだから。

ね!


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