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“死”に対抗する手段としての音楽、そして記憶。カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

「記憶」は、ものを見るためのレンズであり、不確かな自己肯定であり、「死」に対する部分的な勝利である。

イシグロ文学の根源とされる「記憶」のテーマは、読み込むほどに多様な解釈を生む。

長編第6作「わたしを離さないで」は、カズオ・イシグロの名をさらに世界へ広める作品となった。2010年にはイギリスで映画化され、ハリウッドでも活躍する若手俳優らが起用された。日本でも2014年に蜷川幸雄演出により舞台化され、2016年には綾瀬はるか主演でドラマ化もされた。

『わたしを離さないで』の求心力

本作の魅力のひとつは、不可思議で、でもどこか懐かしさを感じる世界観。SFやミステリ、恋愛など、多くの要素が入り交じり、主人公キャシーの抑制の効いた語り口が、それらを極上のヒューマンドラマにまとめ上げている。

イシグロの作品には、よく音楽が登場する。本作は「充たされざる者」や「夜想曲集」のように音楽が主題となる物語ではないが、タイトルが作中に登場する楽曲名から取られていたり、その楽曲が収録されたカセットテープがキャシーにとってのマクガフィン的存在(登場人物にとって行動の動機づけになる仕掛け)として位置づけられており、音楽が物語の根幹に深く関わっていることに変わりはない。

キャシーは、ヘールシャムという施設で友人と過ごした大切な「記憶」を、オルゴールとして心の奥底にしまっている。

蓋を開けば、スローなアメリカンバラードが流れ出し、何も知らず幸せに過ごしていた時代の記憶が鮮明に蘇る。

「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」……何度も繰り返されるフレーズが、抗い難い運命を課せられたキャシーに、一時の安らぎを与えくれるのだ。

その姿は同時に、本作の根幹である「いかに生きるか」というテーマを私たちに想起させる。

限りある人生で何を大切にすべきか、日々迫り来る死の影と、私たちはどう向き合うべきなのか。過去の記憶を頼りに生きるキャシーを通して、人間の本質を問い直す姿勢が垣間見える。


記憶は、「死」に打ち勝つ

生物学者の福岡伸一氏との対談で、イシグロは「記憶は“死”に対する部分的な勝利である」と語っている。

死は誰にでも平等に訪れ、それに対して逆らうことは決してできない。

しかし、物質として消え去っても、「覚えている」ことで、記憶のなかに留めておくことで、私たちは一瞬だけでも“死”に打ち勝つことができる。

そして音楽もまた、時代を超えて生き続けるという意味では、死に対して抵抗できるひとつの手段なのだ。

小説や芸術もみな同じく、作り手が消えても、長い時間が経過しても、変わらず存在し続ける。それらすべて、われわれ人類が、死という曖昧で不可避な現象に対抗する武器となる。


イシグロがヒッピーに傾倒していた時代、カリフォルニアをヒッチハイクしていると必ず聞かれた三つの問いがあったという。

「どこから来たのか」「どのバンドが好きか」そして「生きる意味は何か」。

イシグロが、音楽、夕暮れ、記憶、それらのテーマを通じて表現しているメッセージは多岐にわたるが、根源的に表明しようとしているのは、人間の存在理由への本質的な問いかけなのかもしれない。


(本記事は『新潟日報』2017年12月23日に掲載されたものを加筆・修正しました)

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