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読者歴21年目の節目

先日、漫画家の小林よしのりさんに拙著「おもてなし2051」を献本しました。

ゴーマニズム宣言」で知られる小林よしのりさんの読者を続けて、はや20年になります。20年という数字に何か自分の人生の節目のようなものを感じたので、読者を始めた原点を振り返り、noteに綴ることにしました。20年前の自分が今に繋がっていることを思うと、色々と込み上げてくるものがあります。しばらく昔話におつきあい下さい。

 私が小林さんの存在を知ったのは、ニューヨークで学生だった頃でした。当時仲良くしていた日本人の留学生仲間から、「小林よしのりという漫画家を知っているか?」と訊ねられ、私は首を振りました。初めて聞く名前でした。留学生仲間のその人は、小林さんの漫画が一般の恋愛や冒険コミックなどとはまったく違って、歴史的、政治的テーマを扱っていること、そこに明確な思想があること、そしてその思想を表現する作風が、いわゆる「中道」とは少し違ってはっきりとした強い主張があるものだということを教えてくれました。友人と別れた後、私はすぐにマンハッタンにある日本語の書店「kinokuniya booksellers」に足を運び、小林さんの漫画を探しました。思えばあれが「ゴーマニズム宣言」に出会った最初でした。

20年前にはすでに小林さんは有名であったはずなのに、どうして私は知らなかったのだろうと、今振り返れば不思議に思います。当時の私はアメリカの知識ばかりを集中して頭に入れようと躍起になっていて、日本について学ぶことをほとんどしていませんでした。結果的に、アメリカで暮らしてみて初めて、日本のことを深く学ぶことになりました。海外に出てみて初めて、私は日本の歴史を身近に感じたのかもしれません。日本にいた頃は、たとえば明治維新というと、遠い遠い過去の出来事のように感じるけれど、海外で日本について少しでも学んでいる人たちは、日本が大きなターニング・ポイントを迎えた明治維新(Meiji Restoration)のことを真っ先に話します。彼らと一緒に考えていくうちに、戦争や植民地政策、戦後復興のあり方など、日本の歴史が身近に感じられるようになり、歴史というのは間接的にも確実に今の自分の一部を作っているのだと感じるようになっていきました。

マンハッタンで「ゴーマニズム宣言」と出会ってから一年後に、911が起きました。私はニューヨークからサンフランシスコに移住していました。大学卒業と同時に離れたニューヨーク。ついこの前まで住んでいた場所がテロに遭うという出来事は、私の人生の中で本当に衝撃的な出来事でした。テロそれ自体もショックでしたが、何よりも心に深く刻まれたのは、世界には自分にはとうてい想像しえない憎悪や悪意があったという事実と、それに気づかなかった自分の未熟さでした。それまでの数年間のアメリカ生活で、私はじつに多くの人たちと知り合ってきました。世界の様々な国や地域から移民としてアメリカにやってきた人たちは、十人十色の肌の色を持ち、文化的背景を持ち、それぞれの母国語を話しました。もちろん、母国語を忘れた人もいて、自らの文化的背景をアメリカ英語という新しい言葉と融合させながら、日々の営みを表現している人も大勢いました。

そんな多様な人々と触れ合うことで、私は世界を知ったような気分になっていたのだと思う。そこにやってきた911は、私が見えていなかった世界のもう半分―憎しみや、怒り、グローバルレベルの不平等などが満ちている世界―を目の前に突き付けてきたように感じました。

9月11日を機に、私を取り巻く環境はめまぐるしく変わっていきました。サンフランシスコの七階のアパートの部屋の窓から、戦闘機が空を旋回するのが見える毎日になりました。来る戦争へ備えての演習だったのでしょう。(事実、翌々年2003年3月にはイラク戦争が始まりました)サンフランシスコの大学院では、戦争とテロとグローバリズムに関する議論一色の日々になりました。社会学(厳密にはジェンダー学)を専攻していたこともあって、来る日も来る日も戦争やテロについて論じあう毎日に、精神的に疲弊することも度々ありました。クラスのディスカッションといえども、ただの授業の一環といった状況ではなく、皆が切実さをもって議論に臨みました。担当教授はイラン人でしたが、彼女は大学のキャンパスを一歩出れば、教授ではなくテロリストと疑われて警察に職質されたり、プライバシーをすべて明かすようにと、もっと大きな機関から要求されたりしていました。白人のクラスメートのひとりは、伯母が911で犠牲になっていました。ニューヨークからサンフランシスコに向かうあの飛行機の一機に乗っていたからです。みんな「自分の事」として911と向き合っていたので、全身全霊を注ぐような熱い議論を繰り広げる日々でした。

ディスカッションをしたところで、世界に対して何かできるのか? 私はもどかしさを覚えていました。アフガニスタンでもイラクでも、真っ先に報復の犠牲になるのは女性と子供たちです。大学院で議論のテーブルを囲んでいる今この瞬間にも、彼女たちはアメリカの報復に備えているでしょう。先のまったく見えないテロとの戦いの時代に突入してしまった今、議論だけで世界を良くすることなどできやしない。私も大学院の皆も圧倒的な無力感を覚えていました。それでもディスカッションをやめなかった。なぜなら、世界に対して実質的には何もできない私たちだからこそ、せめて考えに考えて、今この瞬間から目をそらさずに向き合いたい。それがアメリカにいる私たちがやるべき責務なのではないか? 当時の私たちはそう思っていました。

その当時、小林さんの漫画は「テロリアンナイト」と「わしズム創刊号」が発売されていました。サンフランシスコにも「kinokuniya booksellers」があって、私は食い入るように漫画のページを捲りました。当時は世界中の多くの言論人が911について綴っていて、日本人では村上龍さんと冷泉彰彦さんの言説が、アメリカに暮らす日本人から注目を集めていました。世界的にはノーム・チョムスキーさんが広く読まれていました。 

小林さんの見解や主張は、そういった注目を集めていた言論人とは一線を画すものでした。もっと根源的な考察があるというか、強い者や大多数からの目線からではない着眼点にとても惹かれました。クラスで漫画を紹介すると、とても驚かれました。風刺だけで分厚い一冊の本になっていることは世界でも珍しいし、おそらく世界で彼だけです。また誰にでもすぐに分かる似顔絵を描き出せる画力は、それだけで国境を越えていました。

しかし私が絵の魅力よりもさらに感銘を受けたのは、イラン人の教授からの反応でした。彼女はとても共感するわ、面白いと言いながら、勝手にページをコピーしてクラスに配っていましたが、本来なら、教授と小林さんは思想的には正反対のはずだったからです。イランのフェミニストと自負する彼女は、フーコーを愛し、デリダをあまり良く思わず、ノーム・チョムスキーのことは嫌っていて、アメリカのネオコンとイスラエルのことを憎んでいました。学会の中でジャンル的には左翼にあたり、フェミニズムの中でもイラニアン・フェミニズムは過激だと一部では囁かれていました。小林さんは漫画の中で彼女たちの極左的な思想を批判していたこともあり、つまり、両者は思想の流れ的には真っ向から敵対しても不思議はないはずでした。それが911を論じた漫画に対して、教授はまったく同感するわというのだから、皮肉にもテロの悲劇が相反する両者を繋いだのかもしれません。

しかし本当に911が繋いだのだろうか? いや、もしかしたら、人間というのは、何らかの切っ掛けさえあれば、手を取り合えるのかもしれない!

ふと、そんな考えが私の頭に浮かびました。右翼や左翼と呼ばれる人たちも、人生や思想や生活環境のすべての側面において正反対なのではなくて、互いに似ている部分がじつはあるのかもしれない。対立する立場に置かれた人たちも、また何か別の新しいプラットフォームが生まれたら、そこに「仲間」として同乗するかもしれない。この世界に、永久的で絶対的な水と油というものは、そもそもあるのだろうか?

この疑問にとり憑かれてから、私はひどく悩みました。なぜならアメリカは、物事を思考する際には必ずといっていいほど、二項対立で考えるからです。多様な世界と言いながら、二項対立の思考は彼らの文化の中に無意識的に組み込まれている。そう感じてきました。それは小学校の教育から始まっていて、「今の時代にクローンでヒトラーを復活させたら、今度は善良な政治家になれるか否か?」といったように、課題をつねにイエスかノーかで考えさせることが多いからです。そんな中で、大学の修士課程にもなって、「水は永遠に水ではなくて、状況によっては油と混ざり合うこともありえる」などとクラスで主張しても、誰も相手にしてくれません。実際に、私が発言した後に、議論のテーブルが静まり返るのを何度も経験しました。ヨウコは最近なんだか変わったと言われたこともありました。イラン人の担当教授には、小林さんの政治的・思想的立場について、彼女とは相容れないはずだと説明してみました。すると先生からは、「この漫画を見る限りでは、私の考えと違っているようには思えない」と返事が返ってきて、拍子抜けしたと同時に、二項対立の思考の滑稽さを思い知らされたのを、今でも鮮明に覚えています。

あれから20年が過ぎました。私は学問の世界を離れ、自分の足で旅をしたり、帰国したり、お金のためだけの仕事をしたり、病気の家族の介護をしたりと色々ありました。そして今年、2020年。念願だった小説を出版しました。小説のテーマは311と福島の未来です。911から311へ。私が911の頃に経験したり悩んだりしたことを、311への考察に活かしたいと思いました。アメリカのテロと東北の震災は違うけれど、グローバルレベルで考えていくべきテーマを世界に与えたという点においては、二つは似ています。

2020年は、本来なら311から9年の節目を迎えて、今一度、復興について見直すべき年になるはずでした。しかし世間はコロナ・ウイルス一色に染まり、冷静な思考も、振り返るべき大切な物事も、感染への不安と恐怖に絡めとられていきました。

小林さんの漫画を通じて私が学んだことは、考え続けることの大切さです。いつの時代のどんな状況に遭遇しようとも、私たちは考え続けなければいけない。二項対立のような単純な捉え方ではなく、雑然としたこの世界と向き合うためには、こちらも柔軟な眼差しを持たないといけない。漫画という手法はもしかしたら、文章だけの論文や批評では表せない物事の「行間」を私たちに教えてくれるのかもしれません。

読者を始めて21年目の節目に、自分の原点を振り返り、これからもページを捲りながら、そして悩みながら歩いていきたい。改めてそう思いました。


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