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「Art Festival 2022」大地の芸術祭編

担当:HANA

channelによる、みなさんとの対話と交流の場、PLAZA。
日本や海外で実施されている芸術祭にフォーカスし、その実態や内容についての知識をシェアしながら、様々な切り口からディスカッションを行っていくPLAZAの芸術祭企画の第1弾となる今回は、大地の芸術祭と瀬戸内国際芸術祭の比較と考察をしました。今回は大地の芸術祭について、当日のプレゼンテーション内容をレポートでお届け!

はじめに

私は、所属している日本大学芸術学部の彫刻コースにて、教授を中心に有志の学生で一つの作品を制作・出品しています。2021年に現地に通って制作を行い、2022年には作家として1週間現地に滞在するなど、地域の方々との交流を重ねてきました。
またそうした活動と共に、大学の授業などで大地の芸術祭をはじめとする地域芸術祭に深く関わる方々からのお話を聞くことが多く、自分なりに大地の芸術祭や日本における地域芸術祭のあり方について考えるようになりました。芸術祭の始まりであり、先進的な試みだった大地の芸術祭。過疎高齢化の進む地方を舞台にアートイベントを行うという前代未聞のこのプロジェクトは、通常の美術館やギャラリーでは見られないような独自の挑戦を乗り越えながら今日まで続いています。地域で行うからこそ得られる良点、課題とは?そしてこれまで長く続いてきた本芸術祭は今後どうなるのでしょうか?今回はこれらの経験を踏まえ、自分なりにお話していきます。

農舞台とカバコフの作品『棚田』

大地の芸術祭について

概要
そもそも、大地の芸術祭とはどんなものなのでしょうか?
大地の芸術祭は、過疎高齢化の進む新潟県の越後妻有地域を舞台に20年以上続く国際芸術祭。「人間は自然に内包される」を基本理念に、人間と自然がどう関わっていくかの可能性を示します。作家たちは他者の土地にものを作るため、地域とのコミュニケーションが不可欠。そのため、世代や地域、ジャンルを超えた協働が行われています。野外彫刻作品や廃校・空き家を活用した作品など、地域を切り拓き、あるものを活かした作品が約200点常設展示されています。

開催場所
舞台となる越後妻有は川西、松代、松之山、中里、十日町、津南の6つのエリアからなる地域。豪雪(しかも縄文期から!)という厳しい条件のなかで、米づくりをしてきた土地です。人々は、切り離すことができない人間と自然の関わり方を探りながら生活してきました。そこから「人間は自然に内包される」という基本理念が生まれ、すべてのプログラムに貫かれています。人間と自然がどう関わっていくかの可能性を示すモデルになろうと、越後妻有の地域づくりは進められています。

会期
本芸術祭も瀬戸芸と同様「トリエンナーレ」。3年に一度開催されています。
会期は、2022年は4月29日〜11月13日の全145日間。通常は7月から9月の50日間ほどの開催なのですが、今回は新型コロナウイルスの影響を受け、途中で緊急事態宣言などが発令されても多くの人が訪れることのできるよう、長い会期設定となりました。

ディレクター
総合ディレクターは瀬戸内国際芸術祭と同様、北川フラム氏が務めています。

では、この芸術祭はどんな成り立ちで始まったのでしょうか?今回私が参考にしたのは北川氏の著書『美術は地域をひらく 大地の芸術祭10の思想』。長い歴史を誇る、日本を代表する大地の芸術祭ですが、実はその成り立ちや思いは知らないという方も多いのではないでしょうか?本レポートではこの著書や芸術祭に関わる方々の言葉、自分自身の活動から見つめ直します。

著書はこちら↓

大地の芸術祭の成り立ち

遡ること1994年、新潟県知事により「ニューにいがた里創プラン」が提唱されました。これは、県をいくつかの広域行政圏に分け、それぞれが独自の価値を発信するようになることを目指す計画。その中で採択されたのがアートで地域の魅力を引き出し、交流人口の拡大などを図る10年計画「越後妻有アートネックレス整備構想」。そのアドバイザーとして声を掛けられたのが北川氏でした。

この「越後妻有アートネックレス整備構想」には三つのプランがありました。一つ目は『越後妻有8万人のステキ発見』という、地域の自然や文化が元々持ってる魅力を再発見するための写真と言葉によるコンテスト。その応募数は3,114点と、大規模なものだったそうです。二つ目は「花の道」。道路や民家の庭先などに花を植え繋げることで交流ネットワークを作る、住民参加による共同事業です。景観の美しさと同時にインフラ整備の一面も併せ持っていました。三つ目は「ステージ整備事業」。6つの市町村それぞれが地域の特色を活かした役割を持つことで、拠点を整備しました。そしてついに2000年、三つのプロジェクトの成果を3年ごとに発表するための場として、それぞれの活動をアートを媒介に収斂した「大地の芸術祭」がスタートします。目的は、地域のお年寄りを元気にすること。経済効率至上主義の社会では、都会の田舎のアンバランスが発生していると北川氏は考えています。効率を求めるために地方のお年寄りが生業としてきた仕事ができなくなること、高齢化の進行や都市に若者が集中することで集落から人が減り、少しずつ消えていくこと。そんな現場の中で、お年寄りの笑顔が見たいという思いをきっかけにこの芸術祭は始まったのです。

では、なぜアートなのでしょうか?
北川氏は、「お茶やご飯の差し入れも含め、地域の人々が様々な形で制作に関わるため、作品は作家1人だけでなく地域の人々のものになる」「地域の人が実際に作品に入り説明をすることで、作品が身近なものになる」「実際にその場で空間全体から感じる経験が人を動かし、人を呼び込む力になる」と述べています。ここでアートは関係発生装置として機能していることがわかります。瀬戸芸同様、一番の目的は地域復興。そのための切り口がアートなのです。

日芸と大地の芸術祭の関わりについて

日本大学芸術学部は「日藝アートプロジェクト」として2006年の会期から学部全体で芸術祭に総合参加しています。特に私の所属する美術学科彫刻コースでは、鞍掛純一教授を中心に有志の学生が集まり、2004年の夏から制作や地域との交流を行ってきました。この日芸彫刻最初の作品「脱皮する家」を制作した頃はまだ芸術祭自体が地域に受け入れられておらず、当時の教授や学生は作品を完成させることだけでなく地域の方々に受け入れてもらう必要がありました。

『脱皮する家』内の写真。床から天井まで彫り尽くされている。

『脱皮する家』は、抜け殻となってしまった空き家全体を彫ることで、内側に内包された空間を広げ、空家をアートとして脱皮・再生させた作品。企画から完成までかかった年月はなんと2年半。教授や学生は160日以上現地に滞在して制作を行ったそうです。また、この作品は農家民宿として宿泊することもできます。

しかし地域の人々からすると、全てが受け入れ難いことでした。教授や学生らは礼儀や片付けに注意していましたが、制作過程でどうしてもゴミや汚れが生じたことや、そもそも「空き家を彫る」というこの作品のコンセプト自体が地域の人にとっては訳のわからないものでした。地域の方から苦情の書かれた紙を渡されたこともあったそうです。しかし日々の挨拶や交流、何より制作姿を見てもらうことで段々と受け入れられていき、最後には皆に愛される作品が完成しました。

日芸彫刻の歩みを振り返ると、この芸術祭の持つ「他者の土地に作品を制作する」という特徴を紐解くことができます。他者の土地にものを作るには、その土地の人々の了承を得る必要があります。そのため、会期以外の期間に行う制作や交流がとても重要です。日芸彫刻も、運動会やお祭りなどの行事の開催、稲刈りや田植えなどの地域行事への参加を通して積極的に交流をし、地域の中に入っていきました。かつての学生たちが紡いだ歴史があるからこそ、私たち今の日芸彫刻は新潟の土地で制作をすることができるのです。(今回私たちが製作した作品についてはまた次の機会に!)

マ・ヤンソン/MAD アーキテクツによる作品「Tunnel of Light」

大地の芸術祭についての考察と問い

大地の芸術祭においてしばしば問題視されるのが労働問題。ここで注目すべきは、芸術祭の実現に欠かせない「こへび隊」。芸術祭をサポートするボランティア団体です。その中身は世代、ジャンル、地域を超えた集まりで、年齢も様々。参加方法も色々で、数日間だけの人もいれば、人生を捧げるレベルの人もいます。しかしこのこへび隊は複雑な課題を抱えています。それは、お給料が出ないこと。

芸術祭が始まったばかりの頃、地域の理解がまだ得られていなかったことや人手不足から、こへび隊の労働環境は厳しいものでした。暑い中クーラーの無い部屋に泊まったり、休みが無かったり。仕事内容はほとんど地域の人々の説得だったそうです。しかしその反面、初期のこへび隊は自主性が強く、今でいうマネジメントやキュレーションのような仕事をしていた人もいたそうです。ですが2009年の第4回目の会期の頃、世の中に「ボランティア」という概念が流行すると、自分たちの労働環境に疑問を感じたせいか、こへび隊の数が大幅に減ったという過去もあります。(現在は元の人数と同じくらいに戻っています。)自主性が強いことは芸術祭に良い作用を与えますが、"やりがい搾取"のようになってしまうのは良くない。しかしあまりに受け身な姿勢では、人との関わりが大切な地域芸術祭においては存続が難しくなってしまいます。

また大地の芸術祭は「いかに継続させていくか」という問題にも直面しています。作品数が非常に多いため定期的な管理やメンテナンスが必要ですが、そのどれもが広大な自然の中に点在しているため作業には膨大な時間を要します。また運営や継続に必要な人員が足りていない現状もあります。このままこれまでと同じペースで作品を増やしていくと、管理が追い付かなくなることが予想できます。そのため、これからは作品を増やすよりも、例えば食文化など、元々地域に根付いている文化に着目して取り上げて行く必要があります。

さらに重要な課題は、「芸術祭があっても過疎高齢化が進んでいる」ということです。その土地にあるものを活かし、訪れた人がその土地の魅力に気が付くような作品たちは、移住者や旅行客をもたらし、結果的に過疎高齢化が進む地域の復興に繋がったかのように思えました。しかし越後妻有地域の人口の減少は止まっていないという現状があります。これからは大地の芸術祭を通して、芸術祭に訪れる人や関わる人、越後妻有地域を気にかける人などの関係人口を増やす必要があります。

この厳しい現実からは、「アートは過疎化の解決にはならないのだろうか」ということを考えさせられます。そもそも北川氏の思想は、都市と田舎のアンバランスを解決することでした。その手段は果たして存在するのでしょうか?北川氏は過疎高齢地域の現状と、そこでアートが果たす役割をこの芸術祭で私たちに提示してくれました。アートが持つ、美術館やギャラリーといったお定まりの場所を飛び越えて地域に入ることで人と人とを繋ぐというもう一つの役割を教えてくれました。それを受けて、私たちは新しい芸術祭を考える必要があるように感じます。政治や法律といったハードパワーではなく、あえてアートという柔らかなやり方で、日本が抱える課題を変えることはできるのでしょうか。そしてこれからの芸術祭の形とは?まだまだ答えを出すことが難しいのですが、これからも大地の芸術祭での活動を通して考えていきたいと思っています。

☆瀬戸内国際芸術祭プレゼンテーションレポートはこちらから↓
https://note.com/channel3627/n/n8c326b1a27ea

☆PLAZA当日行われたディスカッションレポートはこちらから↓
https://note.com/channel3627/n/n2063e6727342

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