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100日後におでかけする大学院生【#30】黄色い線の向こう側

こんにちは。おでかけ志願者のちゃんたです。

今日は新年度になってから初めて大学へ行くため、電車に揺られながらnoteを書いています。

(実家からだと2時間近くかかるので、時間がたっぷりあります✏️)

何を書こうか考えていると、3月に大学へ行った際、人身事故による電車の遅延に巻き込まれたことを思い出しました。

そのとき気付いたことがあります。それは、うつになる前と後で、人身事故と聞いた時の感じ方が大きく変わったことです。

例えば、自分が乗る路線で人身事故が起こったと、ホームでアナウンスがあったとします。

詳細を知るため、X(Twitter)で路線名を検索すると、どうやら〇〇駅で人が飛び込んだらしい、電車が復旧するまでには時間がかかりそうだ、などの情報が出てきます。

それに対して、以前の私はまるで他人事でした。電車が止まったことに対するいらだちや、正直なところ、迷惑とすら感じていました。

今となっては、そんな風に思っていた自分が恥ずかしくて仕方ありません

今の私にとっては、他人事だと思えないのです。
近くで誰かが自ら命を絶ってしまった、行動に移してしまったことに対する、強い悲しみの気持ちでいっぱいになります。

その人がどんな人かは分かりません。しかし、自分と同じように希死念慮で苦しんでいた人が自ら居なくなってしまったことに対して、まるで同志を失ったかのような喪失感すら覚えてしまいます。

今の私は、責める気持ちになんて、とてもなりません。
その人は、飛び込んでしまうその瞬間まで、希死念慮に抗って、懸命に生きていたのですから。

「しぬなら一人でやれよ」
「他人様に迷惑かけるなよ」

こんな呟きが溢れている世の中ですが、私は、その瞬間まで必死に希死念慮に抗って生きたことに「がんばったね」と言いたくなるのです。

電車がホームを通過する瞬間はとても怖いです。
うつになってから、希死念慮が私の中に居座るようになってから、怖くて仕方ありません。

自分の足がふと、前に踏み出してしまいそうで

私は、電車が目の前を通る瞬間はいつも、目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばり、足が動いてしまわないようにその場でぐっと踏ん張ります。
人がいないときは、後ろに一歩下がります。

ふっと吸い込まれて、自分が黄色い線の向こうにいってしまうのが怖いからです

この感覚を知ってから、人身事故に対する感じ方が大きく変わりました。

もしかしたら、人身事故に対して「迷惑」だと思えるうちは、その人の心は健康なのかもしれません。(思うだけでなく、発言するのはいかがなものかと思いますが)

今の時代、うつなんて誰でもなり得ます。
自分だけでなく周りの人も、黄色い線を越えてしまわないように、世の中が優しい言葉で溢れればいいなと願うばかりです。

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