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短編小説【1人の女として】

こんなに時間をかけて化粧をするなんて
何年ぶりだろう。

子どもをはじめて産んだ25年前から今日まで
人前に出る上での最低限の化粧以外は
してこなかった。

だから久々に化粧をした自分を鏡で見て
なんだ、自分まだまだイケるじゃん。って
思ったんだ。

3人の男子を育て、昨日ついに一番下の子が
成人式をむかえたときが同時に私の
母親業の退職日にもなった。
そしてそれは女としての再出発日でもあった。

私は夫の意向から専業主婦だったので
友人からはよく、子育てに集中できて羨ましい、
と言われたが、とくに「子育て業」については
世間的には問題が起きずに育てることが
ベースラインで基本的にただ子育てをしてるだけで
誰かに褒められることはない。

唯一の評価者は夫だが、
その夫も毎日の仕事が忙しく私をほめるための
余裕もない。

したがって、どこか「やりがい」を感じづらい
毎日を送っていた。

加えて、専業主婦はその特性上
生活ができることは「夫がいるおかげ」という
事実がどうしてもつきまとってくるため
申し訳なさが拭えず、謙虚に生きることを
強いられているような気がしてならない。

もちろん、これは私が単に専業主婦に
向かない体質なだけで世間的にはむしろ
ある種の女性の成功パターンとして
語られていることは知っている。

しかし、自分のためにお金や時間を
使うことよりも子ども中心、家庭中心に
生きることを強いられる苦行。
それが25年間、私が専業主婦として
生きてきた上で持った感想だ。

そんなことを考えながら
1時間におよぶ化粧が終わったとき
一筋の涙がこぼれた。

お疲れ様、私。
これからは1人の女として
人生を再スタートしよう。

この姿で夫と会ったらどんな反応を
してくれるかな?

26年前、はじめてデートしたカフェに
行く時と同じ気持ちで夫のもとへ向かう。

足取り軽く、昨日買ったばかりの
真っ赤なワンピースのスカートがなびく。
そのポケットからは2回折り畳まれた
離婚届の角が少しだけ飛び出していた。

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