「はなの話」byなめ

愛猫はなさんの話。 はなが教えてくれたことを、忘れないようにnoteで書かせていただき…

「はなの話」byなめ

愛猫はなさんの話。 はなが教えてくれたことを、忘れないようにnoteで書かせていただきます。 ワタシとはなの、奇跡のような日々たち。

最近の記事

  • 固定された記事

はなの話

ワタシには、一生忘れられない愛猫がいる。 名前は、はな。 うつ病になって、家にこもりきりで何もできなかった30歳の時のことです。 窓のそばでゴロリと転がっていたら、窓の横に置いてある発泡スチロールの中で何かがもぞもぞと動きました。 てっきりデカい野良猫かなんかだと思い、手元に合ったサンダルを投げて当ててみた。(我ながら当時はクソだな。) 逃げようと飛び出てくるかと思ったが、そんな気配がまったくないのでそろ~~っと見に行ってみたところ、まだウニョウニョ状態の子猫が2匹

    • 愛猫たちからのおみやげ。

      アニキの愛猫「らんまる」が逝く。 おととい。 アニキの愛猫「らんまる」が旅立った。 22歳という、ご長寿であった。立派な立派な猫生であった。 この子はほんとにアニキのことが大好きで。 当たりの強いこの妹に対して、いつもアニキをかばうかの様な態度を見せてくれていました(笑)。お前は彼女か?ってくらいでね。 その子その子に、もって生まれたドラマがあるけれど、らんまるも、ほんとに素晴らしいおみやげを置いて行ってくれたと思います。 はなが教えてくれたもの さて。 は

      • ようやっと。

        なんと、最後の記事からちょうど一年後に新しい記事を書くことになりました。 はなが虹の橋を渡って、三年半が経ちました。 はなとだいがいなくなり、ワタシはずっと、自分の「芯」がなくなったように感じてきました。 日々に忙殺され、何に向かって歩めばいいのかが見えず、何かを始めては迷い続けてきたように思います。 が。 ようやっと、ワタシは何を目指すのか、が見えてきたようです。 ようやっと、はなが教えてくれたものが、誰かの何かのお役に立つかもしれず。 なので、遅々とした歩みに

        • はなへ

          本当は、もっとちゃんと書き残すつもりで始めたのですが。 書き始めて、どうにもはなのことを消化しきれていない自分がいるのを思い知り、正直途中からけっこうな苦行状態となりました(笑)。 なので不本意ながら、noteでのはなの話は終わりにしようと思います。 はな。 ごめんね。 ちゃんとやりきれなくて。 はなに教えてもらったことはたくさんあったけど、おかあは何ひとつ返せない、宙ぶらりんなまんまだね。 最初のガンが治ったあとも、はなは失明しそうになったり肋骨を折ったり、ア

        • 固定された記事

          失明の危機

          すみません。一カ月もあいてしまいました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 慌てて病院に連れて行ったのですが、はなの顔を見て先生の顔が曇ります。 「う~~~~ん、ちょっとどうなるかわからないねぇ。どこまで回復するかは。」 思いがけない先生の諦めモードに事の深刻さを痛感し、また泣いてしまいました。 まさかこんな事態になるとは思いもよらず、はなに申し訳ない思いでいっぱいになります。 やっぱり新しい子を入れるというのは、無謀なことだったんだ

          新参ネコがやってきた

          末期がんから奇跡の生還を果たした、はな。 すっかり甘え上手になったはなは、呼べばすっ飛んでくるような子に変身しました。 膝の上でゴロゴロするようすは、病気の頃には考えられないほどです。 ですが、実際はこの先もず~っと普通の子より大変なことは続きます。 はなのことが落ち着いてしばらくしたころ、家の敷地内でうずくまってる黒猫をアニキが発見して。 偶然にも「もう一匹なら黒猫がいいなぁ。」とワタシが話してたのを覚えていた彼が、「引き入れてはダメかねぇ?」と聞いてきて。 そ

          新参ネコがやってきた

          年の瀬に。

          何かとバタバタしていて文章を作る時間がなかなか取れない年の瀬を送っております。 おまけに、正月料理の仕込みをしようと昨日野菜を山ほど切っていたのですが、ついでに指の皮も切り落としました(笑)。絶望。 そんなわけで、年末までにこちらでのお話も書き終えたかったのですが、もうちょっとだけnoteを書いていこうと思います。 うちのダンナには、ちょこ~~~~っとだけ、普通の人は気づかない『あちらの存在』を感じるタチがあるのですが、おととい、 「誰だか来てんぞ。白いのがうろうろし

          記憶と違う記録

          前回書いたように。 自分の記憶と、病院のカルテを見せてもらった診療記録に若干の違いがあり、いろいろなことを整理してみたりしました。 記事を書いてるせいか、最近はなの夢を見ます。 けど、あまりいい内容のものじゃなく、けっこうしんどかったりします。 病気真っただ中だったりケガしてたり(涙)。 あまり、ダラダラと昔の話を書くのは良くないのかもしれないなぁ。。。 なので、少しスピードを上げて、年内には記事を書き終えれるようにしてみます。 どう思い出しても「摘出手術をする

          記憶と違う記録

          そして。

          次の記事を書こうと、通院履歴を確認していたのですが、どうしても思い出せないことがあって、なかなか次のお話を書けませんでした。 大事なことなのに、なんで忘れちゃったのかなぁ。。。とほほ。 通院履歴だけを書き出したメモを見返してみると、この手術から3か月後、もう一度「抜歯手術」と記録された日があります。 はて?さっぱり覚えがありません。 もう一回手術?そんなこと、承知したっけ??? 前回の手術で、舌は出しっぱなし状態ではあるけれど、毎回痛みに悶絶していた食事の時間も、だ

          eyes to eyes

          扁平上皮ガン。余命半年と前の獣医に宣告されてから約2年を迎える、2009年の3月。はなはまた、手術を受けました。 手術中は病院に預けたままなので、どれくらいの時間の手術だったのかはわからないのですが、午後面会に行くと、さすがに疲れた様子で眠るはなを見て、またも涙がこぼれました。 前回同様、特になんの変化もなかったら、ただ辛い思いをさせるだけになるかもしれず。 ポジティブな予想よりも、そういったネガティブな想像がワタシの心にどっかり腰を下ろしていました。 その三日後には

          抜歯して1年

          抜歯後の記録を見直していたら、ちょっと時系列を勘違いしていたようでした。 抜歯後、先生から説明を受けたのですが、 「状態から、一気に全部を抜くことは出来なかったわ。・・・腫瘍も、やっぱりなかなか厳しい状況なのは間違いないわねぇ。」 と、改めて聞かされます。たぶん手術中、その確認がしたくて先生は抜歯を勧めてきたのだとその後にわかりました。確認のために10万・・・・・。とほほ。 正直、この一回目の抜歯手術で、ものすごく何かが改善した様子はあまり感じられませんでした。 け

          抜歯

          病院に行き始めたときの薬の数の写真が残ってました。 なんと8本!! 前に書いたホメオパシーの薬なので、体に害があるものではないのですが、それにしてもすごい量だったなぁ。。。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2007年の5月に病院に行き始め、9月のカルテには「調子がよい」と書かれていました。 2キロ台まで落ちてた体重も徐々に増え、体調が安定してきたように見受けられました。 余命半年のはずが無事に年越しを迎え、相変わらず食事時の

          レイキの伝授を受ける

          その後、「レイキヒーリング」というものが存在してることを知ります。 気功教室で、先生が外気功治療というものをやられていたのもあって、そんなことも世の中にはありかと。 何も出来ないよりは、そんなことでも自分にも出来るのならと思い、あるレイキマスターに伝授をいただきました。 たしか、4段階式で伝授され金額が4万円ちょっとだったかと。 この手の「エネルギー治療を教えます」的なものの中でいうと、比較的節操のある値段かなぁと当時は思ったのです。 正直これも、効いたのか効いてな

          レイキの伝授を受ける

          アニマルコミュニケーター

          気功教室に通っていたのもあり。 ワタシは見えないパワーとかエネルギーとかにも否定的ではありませんでした。 とにかく、何かいい情報がないかと「動物・癒やし」などで調べ続けていたところ「アニマルコミュニケーター」という、動物と話が出来る人がいるということを知ります。 今はテレビなんかでも見かけることもありますが、当時はまだその存在はほとんど知られてなかったと思います。 いろいろな方のサイトを拝見しましたが、わざわざ行くこともなく、写真と聞いてみたいことを送れば、後日その話

          アニマルコミュニケーター

          転職をする

          この頃の詳細な日記などがないので、細かいことを忘れ、すごくもったいなかったなぁと今にして思ったりします。 ただ、病院のカルテを見せてもらったところ、5月に病院に行き始め、9月の段階で「調子が良い。」との記載を見つけました。余命半年の宣告から、4ヶ月が経過。悪くなるカーブはありがたいことにまだ見えず、ゆっくりとゆっくりと時間を過ごしていました。 5ヶ月を過ぎ、週一だった通院が2週に一度になりました。 それでも一回で1~2万の通院費がやっぱり厳しくなってきます。 ワタシは

          色が抜けていく

          当時のカルテを改めて見せてもらうと、約一週間に一度の通院をこの後、3ヶ月ほど続けていたようです。 思ってたような悲壮な病状に、加速度的に進むことは幸いにしてならないのですが、はなもワタシも必死な時期でした。 はな本人は痛みとの戦い、ワタシは私で現実的な問題とも戦う時期に入ります。治療費の問題です。 正直言いますと、亡くなった母が残してくれたものがいくらかあり、それにかなり助けられました。それにしても治療の先が全く見えず、どうなるのか不安だらけでした。 けど一つ、はなに

          色が抜けていく