深夜のかりすま名画座:ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー


ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー


 J.D.サリンジャーは作家志望の青年。父の反対、挫折、戦地への徴用を経て成功を手にしますが戦中に負ったトラウマは根深く。重ねて周囲の人々との不和。サリンジャーは創作に、自らを癒す為だけに没頭します。

 映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」はアメリカ文学の偉人J.D.サリンジャーの伝記作品。その性質がありながら本作は物語じみています。
 サリンジャーが執筆において現実と虚構を渾然化させた様に。彼の”声”が物語の血肉として脈打った様に。本作にはサリンジャーが息づいていました。苦悩の中でどうして生きるか。”普通に生きられない”彼なりの答え。
 小説「ライ麦畑でつかまえて」出版当時には読者の中で、自らがホールデン・コールフィールド(作品の主人公)と疑わない者が多く現れたと言われています。映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」も同様に、作品に触れた誰かにとって「これは自分の孤独だ」と思わせる力があります。閉塞や絶望に対する救済として他者(承認・利益)を必要としない、自己完結の没頭が示されており、筆者も1人の若輩者として考えさせられるものがありました。

 J.D.サリンジャー氏は個人的には作品に触れる程度で人となりは存じ上げません。その為に彼が10年程前まで存命であった事実に驚きました。
 小説「ライ麦畑でつかまえて」には古典という印象が最早あり、それに従いサリンジャー氏を”歴史上の偉人”みたいに認識していました。彼が偉人であるのは事実ですが、自分と同じ時代を一時とは言え生きていたとは。
 それに対する感情を上手く言い表せないけれど、興奮と感動が自分の中にありました。
 サリンジャー氏の作品と言えば「ライ麦畑でつかまえて」「ナイン・ストーリーズ」「フラニーとズーイ」等の代表的なものに触れた事がある程度ですが。本作では氏の経験やそれを取り巻く風景が作品群にリンクする描写があり、バックボーン込みで楽しめる要素が散見されました。
 これから映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」をご覧になる方々にとってサリンジャー作品に触れる事は必須ではありませんが、より深みに没入する為に押さえておいて損はないでしょう。

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