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◎「いちえふ」周辺の今を歩く◎(前編)とみおかアーカイブ・ミュージアムを訪ねる

いちえふ

って、知っていますか?仕事で従事している人や、地域の方からは、そのように呼ばれているのでお馴染みですが・・。正式名称は、

東京電力 福島第一原子力発電所

といいます。皆さんご存じの通り、東日本大震災で大きな事故が起きてしまった、その場所です。この現地では、今でも放射能という見えない敵に怯えながら、着実に廃炉という作業に向けて日々奮闘されている従事者の皆さんがいらっしゃいます。その一方で、その周辺地域は、長期にわたる避難生活等をされ、今も苦闘されている方々もいらっしゃいます。

土木の世界に携わっている身としては、「いちえふ」については、この廃炉に向けての奮闘や、周辺の方々の苦闘を知り、それを伝えることが重要だと思います。今回、このエリアを訪れる機会を得ましたので、その模様をお伝えしたいと思います。

■いちえふ周辺の現状

いちえふ周辺、いまはこんな感じで、今もなお、帰還困難区域が存在し、避難を余儀なくされている方々がいらっしゃいます。

いちえふ周辺の現在の様子。まだ帰還困難区域が存在します。

常磐線が全線で運転を再開したのが、2020年3月です。その際、帰還困難区域内にあった各駅の周辺も、「特定復興再生拠点区域」に指定されるなどして、集中的に除染が進んだ結果、常磐線とその駅周辺は、電車でたどり着くことができる場所になりました。

そのエリアに足を踏み入れた模様を、少し紹介したいと思います。

■常磐線で福島へ

今回の訪問は、前日仙台で所用を済ませた翌日だったので、仙台駅からスタートです。

早朝の仙台駅。乗降客が多いのに驚きました。
常磐線 原ノ町駅行き電車に乗車。
思った以上に長距離移動する乗客が多かったです。
阿武隈川を渡ります。
新地駅付近。このあたりは津波で甚大な被害を受け、
内陸側の新線に線路が移転した区間です。
原ノ町駅で水戸行きに乗り換え。浪江駅に到着。
こちらは、双葉駅。交換設備が無くなってしまいました。
車窓から見える風景は、帰還困難区域中心だからか、
人が住んでいないような状況かもしれません。
そして、福島第一原発の最寄り駅、大野駅で下車。
大野駅で見つけた、「Welcome to Ohkuma」の看板。
大熊町は、まだほとんどが帰還困難区域です。

ここから、福島第一原発のサイトに入りましたが、写真等の撮影はNGです。広い敷地内で、とてもたくさんの方が働き、見えない放射能と闘いながら、廃炉作業という、気の遠くなるような作業を、地道に一歩ずつ進める活躍をされていました。そういう姿を拝見しながら、とても尊いことだと思いつつ、できればもっといろんな方法で身近にこのことを考えられる機会を作るべき、だと思いました。

■富岡町を歩く

福島第一原発のサイトを見学しましたが、放射線関係の管理は厳格に行われており、人への影響を起こさないという安全管理がされていることを再認識しました。敷地内の放射線量は一部の箇所を除き、かなり低下しており、今では大半のエリアで防護服等を着用する必要は無く、少しずつではありますが、作業条件が改善していることを認識しました。とはいえ、まだまだ廃炉に向けた道のりは果てしなく、今日も本当にたくさんの方が従事されているのは、本当に頭が下がります。

さて、そんな第一原発を後にて、少し南側にある、富岡町を訪れました。

富岡駅周辺を今昔マップで見たところ。
陸前浜街道の宿場町として栄えた町です。
さて、少し徒歩で、とみおかアーカイブ・ミュージアムを目指します。
夜ノ森駅に向け、台地を登る常磐線の跨道橋。
ガード下には、富岡第一中学校の壁画と・・
富岡第二中学校の壁画が並ぶという、富岡っ子が大活躍のスポットが。
アーカイブ・ミュージアムの隣は、
廃炉環境国際共同研究センターなる施設が。
ここは、廃炉に向けた技術開発の拠点でもあるようです。

■とみおかアーカイブ・ミュージアムへ

さて、とみおかアーカイブ・ミュージアムに到着しました。
敷地の外には、津波で被災した、常磐線の軌道跡が展示されています。
このミュージアムは、震災の記憶をきちんと残そう!
という取り組みの一環でできた博物館です。
陸前浜街道の宿場町として栄えていた頃の富岡町中心部。
海沿いにある駅は、本当に町はずれにあったようです。
富岡町中心部のかつての繁栄ぶり。
常設展示て目を引く、「富岡は負けん!」の横断幕。
避難指示が出ている際、一時帰宅した住民が自主的に掲げたのだとか。
富岡は、震災前から「原発の町」でした。
ここは、隣の楢葉町との境界に、「福島第二原発」があった場所です。
原発事故発生直後の、災害対策本部を再現した場所。
避難した跡の状況。大急ぎで全町民がいなくなったことが記録されています。
これは、津波で流された富岡駅の改札。
左のポールがへしゃげています。
バックの写真に写っていた、「とみおか」の駅名標。
津波で被災したことを伝えています。
被災前の駅舎の再現。こういうのが、とても大事、ですよね。
こちらは、津波から避難を呼びかけ、殉職された警官が乗車していたパトカー。
町民の皆さんにとってとても大切な震災遺構です。
被災当時のパトカーの様子。
こちらは、放射能汚染を防ぐ防護服。
この服を着た方がいて、町民が避難する様子、テレビで見つめていました。
小学生の女の子の避難した際の手記。
避難先のビジネスホテルで書かれています。
とても心を打つ文章でした。
こちらは、津波でなく、放射能で汚染された夜ノ森駅。
除染のため解体されることとなり、一部備品が保管されました。
夜ノ森駅の模型。とても美しい花々がシンボルの美しい駅でした。
除染ですべて丸裸になりましたが、再び新たな草花が芽を吹いているそうです。
常磐線の再開通の日の夜ノ森駅の写真。再開発を喜ぶ地域の皆さんは、
違う姿に生まれ変わった駅の様子を目に焼き付けていたことでしょう。

■「学びの森」を訪れる

つづいて、「学びの森」という文化施設を訪れました。アーカイブ・ミュージアムの向かい側にあり、町役場の隣に立つ公共施設です。

アーカイブ・ミュージアムの前にある、富岡町のカラーマンホール。
富岡漁港と、夜ノ森駅付近の桜のデザインです。
合宿の町として街づくりをしていた、富岡町。
合宿していた東京六大学の応援団の応援合戦が開催されるとか。
「学びの森」の中の図書館で開催されていた、
絵本作家の松本春野さんの絵本原画展を拝見してきました。

松本春野さんの絵本展。大震災から避難した小学生の成長を描く優しい絵本。いろんな震災との寄り添い方があるなあ、と改めて実感しました。松本春野さんは、自身の現住所のすぐ近所にある、多摩美術大学のご出身で、有名な絵本作家のいわさきちひろさんのお孫さんなのだとか。とても素敵な絵本でした。

富岡町は、滝川鉄山の遺跡などもあるところなのだとか。
そんな展示も見られました。

「学びの森」の隣は、富岡町役場。立派な役場ですが、ちょっと人気が無いような気もしました。

富岡町役場。とても立派な建物です。

富岡町には、今も12,000人の方々が住民登録されていますが、いまだに帰還困難地域があったり、避難指示が解除されたばかりの地域もあり、地域の復興・再生には様々な課題があるようです。下記のサイトなどは詳しいです。

実際に福島の地に足を運ばないと、なかなか理解できないことも多く、そんな意味ではとても意義のあった訪問でした。後半戦では引き続き富岡町内を歩いた模様をお伝えします。

■終わりに

2011年の東日本大震災で大きな事故が発生した、福島第一原発の周辺は、今も避難を余儀なくされている方がいて、廃炉や除染などの作業に従事されている方が多いです。少しずつ平常に戻り始めている地区も、本当の意味での復興や活性化には、まだまだ課題山積と言えるでしょう。土木を専門にする身として、この地域を知り、寄り添うことはとても重要と思いました。

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