中学時代の思い出

私は中学受験をして、私立の進学校に進んだ。
その学校は補欠繰り上がり合格で、先に合格した「滑り止め」の学校の制服やら運動靴やら全て揃えた後で連絡があった。
母は喜んで「滑り止め」を蹴って進学校を選んだ。

その進路選択を、実は小学校の先生は否定的な目で見ていた。そして、先生には先見の明があったと思われる。
元々能力の足らない私が、人数合わせのために合格させられた訳だから、落ちこぼれるのは日を見るより明らかだった。

まず、取り上げられたのが、漫画や小説。それからピアノ。好きなものや得意なものが奪われて、代わりに与えられたのが、テストの山。
将来に対するビジョンを描くこともなく、ひたすら漢字に英単語に数学に…自由を奪われたアヒルがひたすら餌を詰め込まれ、フォアグラにされる感じによく似ていた。

ただひたすら「学部なんて何でもいいから、偏差値の高い大学」を目指すメンタリティがあれば、それなりに耐えられたかもしれない。
しかし、残念ながら、私には「偏差値至上主義」は相容れなかった。

その頃の自分と今の自分は、実はあまり変わらない。主人や友達を、「偏差値」や「職業」なんかで選びたい…なんていう風には、これっぽっちも思わない。
自分の感性とか直感で付き合う人は選びたいし、そうして得た主人や友人は、掛け値なく付き合える人たちだと信じている。

ただ一つ、中学時代と変わった事があるとすれば、「幼かった自分を許す力」がついた事だと思う。
そして、かつて幼い自分が居たように、クラスメイトも幼く、先生も視野が狭い若手だった。そう捉え直す事で、自分の中に未消化で残る「黒歴史」を少しずつ消化している。

自分を許すことは、他人を許すことに繋がる。
そんなことを思った。



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