見出し画像

Kanki / 創作

街道を見ながら、部屋の窓を拭く。年末でもないのに大掃除を決意して小一時間。ごった返す物たちを片付ける傍ら、そう思いながら窓を拭き始めたはいいものの、5分と待たずしてこれが大きな誤算であるということに気がついた。掃き出し窓を一枚拭き終わると、みるみる、あらゆるやる気というものが身体から抜けていくのが分かった。大掃除の最中に窓を拭くという行為は、本を読むよりタチが悪い気がする。片付ける為に家財道具を積み上げてしまったお陰で、片付ける以前より部屋が汚くなってしまった。
整理が出来ない人間に整理をする為のツールは、かえって物を増やす動機になりかねない。仕事で扱う書類をまとめたクリアファイルはす段にもなり、適当な小物を詰め込んだ小物そつ数を増やしている。新生活を始める決心として購入したブックシェルフの上には譜面台様のブックスタンドがあり、そこに数冊ほど本を立て掛けていたが、これもとっくの昔に小物入れに兵糧攻めに遭い、本が置いてあることすら分からないほどになっていた。片付ける為の体力はないとして、その先に置かれた本が何だったのかが気になって仕方なく、堆く積もった小物入れを雑な手つきで脇に押しやった。
頂上の部分に置いてあった木目調のそれがフローリングに落ちると中身が零れて、足の踏み場もない床面に更なる山を作り出す。
四散した便箋を幾枚か手に取って確認すると、静かに溜め息が漏れた。

閉場ギリギリに腕を引っ張って観覧車に乗った記憶を、数年越しとは言えども自分自身は鮮明に覚えている。高層ビルが吐き出す無数の明滅の上で、稲光が音も立てずに光っているのが見えた。丸い躯体が頂上へと腕を伸ばす度に、鉄骨でできた関節が静かに泣く。昼間こそ大きく見えた東京タワーも、これほど高い位置から見遣れば、つま先で弾けるほどに小さい。都道を抜けていく車列のヘッドライトの色は多様性に充ちている。折り重なった光は都心へ向けて一直線の線を成していて、この時ばかりは何故か屈託のない笑顔を都の夜景へと向けていた。
大観覧車が解体されるということを知ったのは、都から正式な発表があってからだいぶ後になってのことだった。その一報を知る頃には観覧車の3分の1ほどの解体が済んでいて、もう二度とあの刻は訪れないのだということを静かに悟った。宙を舞いやがて落ちゆく流れが別れと見事に重なっているのを機微に感じ取ってしまうと、画面を呑気に見ていられなかった。

夏祭りへの誘いを遮るようにして 「別れて欲しい」と返事が来たのも、今日ほど暑い時期だった。締め付けるかの如く火照る熱帯夜のもとで数時間、当てどなく近所を彷徨い続けた。このまま朝が来なければ良い、などと月並みなことを考えながら、往来の激しい駅前で人目もはばからず接吻を交わすアベックの姿を肴に、9パーセントの添加アルコールを口に含んでは吐き出した。紅緋のタイルの上をつらつらと闊歩するコークハイ。その色合いも相まって血液みたいだ、などということを、淡々と考えていた。この街は雨が少ないから、当分ここに傷跡を残したままになる。結局缶を開けて二口も消費できぬまま、ショーパブの軒先で揺れるサルビアの花弁にだくだくと酒を振り撒いて帰った。防災バッグの中に入っていたナイロンロープでハングマンズノットを作る時に生まれて初めて、生来手先だけは器用であった自分を讃えた。

長方形区画の桃色の便箋。癖の強い字で書かれたたった7行分の言葉が捨てられないまま時を経たのも、単なる気まぐれという言葉からはほど遠い。誰かが居ないと生きられないようでは仕方がない、とは思えど、誰かが離れていくということにつけては、彼は酷く怯えていた。夏風が噴いて風鈴を啄く度、在りし日の記憶を手繰り寄せて首元までかけ続ける。戻りたいと思うには眩しすぎる上に、今日の自身の身の丈にはだいぶ合わない記憶だから、戻りゆくことを願いなしないのだった。願わくは少しだけ古い記憶を綺麗なまま取っておくということと、遠き日を生きるあなたの幸せを願うこと。それだけだ。

街に大粒の雨が降り始めた。無防備なまま街道を流していた人々がひとかたまりとなって歩みを進めるのを黙って見つめる。梅雨明けも昨日のことのように思えるが、そろそろこの街にも秋独特の冷気が立ち込めているらしい。
もう一度。そう思い立って窓に向き直り、あらゆる思い出を消化するかのごとく、私より少しばかり小さな指紋を丁寧に消していく。冷たい窓と熱を分け合い、熱の名残を消していく。いつの間にか止んだ雨は、宅地のソーラーパネルを濡らしてどこかへ消えた。西に傾いた太陽も手伝って、街中は金色に輝いていた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?