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#14 優しさの半分は体力でできている

ちぇーです。
「優しさの半分は体力でできている」という言葉は、私の人生の中でもスッと府に落ちた言葉のひとつです。

確かになぁ…と思う実体験を含めて、記録しておこうと思います。


優しさの構造

自分の心に「余白」がないと、なかなか「優しさ」は発揮できないなぁと実感しています。

もちろんその度合いは人によって様々かと思います。

ひどく疲れていたり、心に余裕がないと、そもそも「優しい気持ち」を持ち続けることが難しくなり、意図せず言葉がキツくなったり、態度に出てしまったり…と、あとから反省することも少なくはありません。

もちろん「いつも冷静に」を心がけて、意識的に「少し止まって考える」などを実践していれば、幾分かは「優しい気持ち」を持続できるとは思いますが、それでも限界はあるだろうな…と思います。

一方で、年齢を重ねて40歳を過ぎた今、一旦止まって昔のことを思い返すと、20代のころよりは「優しい気持ち」でいられる場面は多くなったかなと思います。とは言えまだまだ小僧です。

これは…一生をかけて「優しい気持ちマスター」を目指す旅なんだろうな…と思い始めた今日この頃です。

ポケモンマスターみたいな言い方をしてごめんなさい。
※ポケモンは人生で一度もやったことがありません

なんとなく、世間的には「怒る老人」は増え続けている気がしますので、私は「怒らない老人」になります。

子育てをしていて

それこそ「優しさは体力」を痛感するひとつの例が子育てです。

もちろん、私はこどもたちに当たり散らしたり、怒鳴ったりはしません。
「叱るときこそ、冷静に」を意識しています(それがいいのかはわかりません)

しかし、いつも完璧になんてできるハズがありません。

例えば、こどもたちが何かイタズラをして、やや注意をするときにも「あぁ、ちょっと言い方間違ったかな…」と思うことも少なくありません。

またはこどもたちが何かしら行動をした結果、何かを壊してしまったり、危険なことになりかけたりしたときにも「あぁ、きっとこの子はそんな意図でやったわけじゃないよな」と毎回思えるか?と言うと、決してそうではないです。

これらの場面をよくよく思い返してみると、

  • そこで一旦立ち止まれるかどうか

  • 少し考えられるかどうか

  • 結果的に「優しい気持ちで包み込めるかどうか

は、自分自身の「心の余裕」、「心の余白」があるかどうかにかかっているなと感じています。

これは心身ともに疲れていたり、イライラしていると…なかなか余裕も余白もできません…

「心の余裕」、「心の余白」を持つためには…「心身ともに体力をつける」ことにかかってきますね…

確かに…身体的に体力がある人、どこか余裕があるように見えませんか?

私の義弟がまさにそうで、自他共に認める「体力おばけ」なのですが、なんとなく「心の余裕」が垣間見えます

私は決して体力があるとは言えないので、彼を見ると感心するばかりです

そして、反省ばかりです。

どんな大人になりたいか

小学生の作文にありそうな見出しをつけてしまいました…笑
小学生だと「職業」やそれに準ずるものを書くんでしょうね。

しかし40歳のおじさんはそうはいきません。

「いつも穏やかで、心に余裕のあるおっさん」

を目指したいと思います。

  • 仕事が多忙でも、いつも安定

  • 子育てで体力を消耗していても、いつもニコニコ

あまりやりすぎると「人間味」に欠けるので、プラスの感情は積極的に放出したいと思いますが、どこか安心感のある、そんな存在になりたいなと思います。

仕事では「ブルドーザー」のような推進力のある人もすごいなぁと思います。
緻密に計画を立てて、着実に遂行していく人もすごいなぁと思います。

私はどちらの役割もある程度担えるといえば担えるかもしれませんが…最終的には「安心感」のある存在がいいな…と思っています。

それはいつも穏やかで、どこか余裕のある…おっさん。

そう、安心おじさんに。


ではまた。

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